三国志の呉、燭、巍 どこが勝って統一したのですか?
孔明死後の動きはこんな流れです。
①呉 蜀 魏
②呉 蜀←魏 (魏が蜀を攻める)
③呉 魏 (蜀滅亡)
④呉 晋 (魏が晋に乗っ取られる)
⑤呉←晋 (晋が呉を攻める)
⑥晋 (晋による統一)
細かくザックリなら、『魏の曹操』の子
曹丕が『漢の帝』を廃してしまったので
(曹丕は若くして病死)
曹操の孫の世代に、曹操の部下であった
『司馬懿』の一族に「魏」は
…乗っ取られました(それがのちの晋)
蜀の『諸葛亮』の後をまかされた
『姜維』が、頑張って戦っている中、
主君・劉備の子『劉禅(阿斗)』が
まさかの、降伏。蜀の滅亡。
『呉の孫権』の孫もワガママに育ち悪政。
魏、呉、蜀は「晋」になりました。
だから『天皇制』は大切なんですよ。
権力者の潰し合いになるだけなのです。
魏をクーデターで滅ぼした晋が最後まで残った呉を滅ぼして統一しますが40年程度で滅び5こ16国時代になります
簡単な流れだけを言いますと、
魏が蜀を滅ぼし、その魏がクーデターによって晋(西晋)となり、
その晋が呉を滅ぼして中国を統一します。
その晋も30年ほどで統一王朝としては体を成さなくなり、
五湖十六国時代へと突入します。
三国は魏・呉・蜀です。
最後は曹操も孫権も劉備も生きてはいませんでしたが
魏の軍師である司馬懿が諸葛亮から魏を守り勝者となったのです。
後に統一国家初代皇帝が彼の子孫の司馬炎です。
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