2012年3月18日日曜日

三国志の呉、燭、巍 どこが勝って統一したのですか?

三国志の呉、燭、巍 どこが勝って統一したのですか?







孔明死後の動きはこんな流れです。





①呉 蜀 魏



②呉 蜀←魏 (魏が蜀を攻める)



③呉 魏 (蜀滅亡)



④呉 晋 (魏が晋に乗っ取られる)



⑤呉←晋 (晋が呉を攻める)



⑥晋 (晋による統一)








細かくザックリなら、『魏の曹操』の子

曹丕が『漢の帝』を廃してしまったので

(曹丕は若くして病死)

曹操の孫の世代に、曹操の部下であった

『司馬懿』の一族に「魏」は

…乗っ取られました(それがのちの晋)

蜀の『諸葛亮』の後をまかされた

『姜維』が、頑張って戦っている中、

主君・劉備の子『劉禅(阿斗)』が

まさかの、降伏。蜀の滅亡。

『呉の孫権』の孫もワガママに育ち悪政。

魏、呉、蜀は「晋」になりました。

だから『天皇制』は大切なんですよ。

権力者の潰し合いになるだけなのです。







魏をクーデターで滅ぼした晋が最後まで残った呉を滅ぼして統一しますが40年程度で滅び5こ16国時代になります







簡単な流れだけを言いますと、



魏が蜀を滅ぼし、その魏がクーデターによって晋(西晋)となり、

その晋が呉を滅ぼして中国を統一します。



その晋も30年ほどで統一王朝としては体を成さなくなり、

五湖十六国時代へと突入します。







三国は魏・呉・蜀です。

最後は曹操も孫権も劉備も生きてはいませんでしたが

魏の軍師である司馬懿が諸葛亮から魏を守り勝者となったのです。

後に統一国家初代皇帝が彼の子孫の司馬炎です。

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