三国志の軍師で、私は徐庶元直(単副)が一番好きなのですが、実際に実在したのでしょうか??
曹操の謀略にて魏に亡命→ 蜀のために魏の為にならないようにしていた。(連環の計を薦めていたホウトウを見逃したなど)
これは史実なんでしょうか??
天才的な戦術眼と確かな知恵で、三国志の中盤を彩る名軍師ですよね!
個人的には、こと軍才に関しては諸葛孔明よりも上を行くと思っています。
実在したかどうかですが、三国志正史(歴史書に近いです)にも記述が乗っていますので、確かに徐元直は存在していました。
魏に亡命とありますが、諸説色々あるようですが、有名なのは母親がそのほかの民衆のように戦争捕虜のようになり、年老いた母を気遣って劉備の元を去ったようです。
赤壁にて龐統を見逃したようですが、これも三国志演技(大衆向けに創作や脚色もしています)での記述なので本当のところは分かっていないようですね。
しかし、徐庶は魏にいてもまったく働かなかったわけではなく、むしろその逆で、軍事・内政にも仕事をしっかりとしていて役職にも就いています。
今日の私たちが本・TV・ゲームなどで知っているエピソードは、演技のものが大きな部分を占めていますので、伝わってくる話は信憑性はちょっと薄い部分ありますね(笑)
ただ、劉備に仕えながらも母親のためを思い魏に降り、恩を赤壁で義でもって返したエピソードは実在の徐庶の人柄を表しているのは間違いないでしょうね!
徐庶(?-?)
実在の三国時代の武将・政治家でもっとも活躍した頃は徐福と名乗っていて徐庶に改名したのは晩年のことという。
単福という三国志演義の偽名は作者の勘違いから派生した架空の名前。
正史の徐庶
徐庶の母が曹操軍の捕虜となったのでこれを心配した徐庶は劉備の許しを受けた上で曹操の元に向いこれに仕えた。
演義ではこの際に徐庶の母は自決したとされているが、正史にはなにも書かれていない。
その後右中郎将・御史中丞にまで出世したが、赤壁など大きな戦いに参加したという話はなく、はっきりとした記載はないが孔明と同時期になくなったという。
演義では「赤壁後はめだった献策をせず、重用されなくなった」というような書き方になっているが、正史では孔明が彼の役職を聞いて「魏はとりわけ人物が多いのだろうか」と嘆くほど用いられておらず、したがって活躍もしなかった。
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