2012年3月29日木曜日

三国志の関羽についてです 演義とか読んでて、関羽と黄忠は仲がいいと思っていた...

三国志の関羽についてです



演義とか読んでて、関羽と黄忠は仲がいいと思っていたのですが

五虎大将軍に任命したとき、関羽が黄忠に対して

「あんな老骨と一緒にされるとは・・・」と言っていた、

ということを聞いたことがあります

正史でも劉備が黄忠を後将軍に任命しとき、

同じ様な愚痴をいっていたのでしょうか?

実際、黄忠の事をどう思っていたのでしょうか?



もし分かっていなかったら想像でも構いません







正史の黄忠伝(21行)には、孔明が劉備に「黄忠の名声人望は、もともと関羽・馬超と同列ではありません。それを今ただちに、同等の位につかせようとしておられます。馬超、張飛は近くにいて、自分の目で彼の手柄を見ておりますから、まだご趣旨を理解させることができましょうが、関羽は遠くでこれを聞いて、おそらく喜ばないにちがいありません。どうもよくないのではないでしょうか。」とあり、劉備は「わしが自分で彼に説明しよう」と言い返したとあります。関羽伝には、馬超と張飛は同等だが、髯どのには及ばないという孔明からの手紙を見せびらかして喜んだとあるので、相当に負けず嫌いで劉備の一番弟子(義弟)を自負していたんだろうと思います。また、演義からも正史でも関羽は、黄忠を快く思っていないと思います。実は黄忠、劉表の死後に仮にも一度魏に所属しています。天下の義士がそれを見逃す筈はなく、同列を嫌ったと思っています。








どんな愚痴を言ったのかはわかりませんが、関羽さんはプライドが高く入ったばかりの黄忠と五虎将とゆう同じ位が納得いかいと不満に怒ったり、目上の名士層や文臣に対して横柄で驕慢であったとあり。文人官僚だけでなく他の武将達からも関羽は、同じ劉備陣営の武将たちに好意を持たれていなかったとゆうヤッカミの強い人物だったことも例が多く挙げられています。馬超が加わった時には自分とどっちが上だと問い、関羽が上だと返事したら、大いに満足してその手紙を人に見せまわったとゆう記述もあります。劉備の武将の中で自分が1位でないと承知しなかったようです(本伝)。







ライバルですよ。

同じぐらい劉備に忠誠を誓っていましたが、

関羽の方が長い間仕えています。



なので、同じ身分になると

悔しかったんだと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿