2012年3月23日金曜日

三国志を読んでみると、馬鹿な(ふりをしてた?)劉禅が一番幸せだったような、、...

三国志を読んでみると、馬鹿な(ふりをしてた?)劉禅が一番幸せだったような、、、。どう思います?

現代でも、劉備のように人徳があっても、孔明のように有能でも、思い通りにならないですね。







有能であればあるほど心残りがあるのではないでしょうか?



自分の無能さを認め野心も持たず生きていくのが一個人としては幸せなのかもしれません。








J.S.ミル曰く、

「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい。」

人間やめて豚になった方がよいと考えるかどうかですね。







演義では劉禅は愚を装ったように描かれていますが、

史実の裏付けはないと聞いています。

後知恵では、最後まで闘うべきだとか

逆に無謀な北伐を止めてもっと早く降服すべきだったとか、 色々言えますが…







劉禅は確かに幸せですが

無能ですね







孔明や他の武将は、無念の心を抱いて死んでいきましたからね

最後まで不自由なく暮らせた劉禅は幸せだったかもしれません



ですが、部下達に阿保だと思われたり、後世、無能な天皇と思われたりしています

真に幸せだったのでしょうかね・・・







そうかもしれません。

あの諸葛孔明でも最期は無念と心残りばかりでした。

自分を無能と割り切って自由気ままに生きる劉禅は結構好きです。







他人の評価なんて自分には関係ない。他人から「あほよ、バカよ、孔明が長生きしても、これじゃどうもならないわな」と言われ、後世から劉禅の幼名「阿斗」と言えば、阿呆の代表のような言われ方して、それでも恥とも屈辱とも思わない。

衣食足りたら、幸福で満足?

「コミュニケーション不全」が蔓延する、今の世相を反映していますね。



私には小なりと言えど、プライドも自尊心もあるし、羞恥心もあります。「ごまめの歯軋り」だって、この世には必要なこと。



有能であっても思うとおりにならず、悪徳であっても世を席巻することがある。

この世は段階の無い「濃淡」があって、白黒はっきりしていない。大人になると言うことは「あいまいさ」を納得できるようになることです。

だから、歴史は面白い。有能で強ければ勝ち、無能で弱ければ負けるのなら、面白くともなんともない。

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