孔明の妻は劉備が出蘆する際、自殺したのは本当ですか?
以下にいう、
弟の諸葛均から、そっと呼ばれた。
孔明は、劉備にことわって、草堂を出て、弟を視た。
均の顔面は、蒼白であった。
孔明は、黙って、弟の家へおもむいた。
そこに見出したのは、冷たいむくろとなった妻の寝姿であった。その顔は、白蠟のごとくなめらかで、口もとには微かな
笑みが刷かれていた。覚悟の自殺であった。
出蘆に対する最大の贈りものであった。
出蘆後・・・張飛は、はなはだ面白くないていであった。
関兄、孔明は、どれほどの人物が知らぬが、いかにわが君のすすめであろうとも、くつわをならべるのは、ちと
不遜というものではないか。
張飛は吐き出した。
張飛、お主は諸葛亮の笑顔の下に、胸の疼く悲しみが秘められているのを気づいて居るまい。
なんだと?
わしは、今朝、どうも、裏手の家の様子がおかしいので、そっと、うかがってみたのだ、・・・・・
諸葛亮の妻女は自害して、相果てて居った。良人の出蘆へのはなむけであった。
む!
張飛も、さすがに愕然となって、目を瞠った。
・・・・五丈原頭に、その生命を落とすまで、孔明は、劉備玄徳のために、そして、その世子劉禅のために、おのれをすてて、
智謀奇略の限りをつくしたのである。
柴田錬三郎の小説「柴錬三国志英雄ここにあり」で、柴錬が創作した事です。彼はニヒルでハードボイルドな作家なので、ヒーロー孔明に家族は必要ない、と思ったんでしょう。
実際は孔明の妻、黄氏はその後もずっと仲良く夫と暮らしています。
夫婦仲良好だったのになかなか子が生まれず、兄・諸葛謹の子を養子で貰ったほどでした。
しかし、待望の長男誕生はなんと孔明が「第一次北伐」で、敗走するさなか(街亭の敗戦のせいですね)に報告があったそうです。すでに孔明は50を越えていました……黄氏も、エライ高齢出産ですね。
孔明の子は、蜀陥落までがんばり、父子ともに死にましたが、その前に母のことを回想し、「わが母は、器量はよくなかったが、地理天文知らぬことのない知恵者だった……」と、言っています。
この話は柴田練三郎の創作です。
実際は孔明が病死した後に後を追うように亡くなっています。
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