三国志について
魏 呉 ショクは
結局どれが勝ったんですか?
詳しくお願いします
「魏」国内では、
「蜀」の諸葛孔明の北伐を阻止した司馬懿が急速に力をつけ、
「魏」の実権は、曹一族ではなく実質、司馬一族が握ることになります。
「蜀」は、二代皇帝・劉禅(劉備の子)が情けないほど凡庸で、
また宦官の悪政により、衰退していきます。
「蜀」を滅ぼす好機と見た「魏」の司馬昭(司馬懿の次男)は、
「蜀」に攻め込み、まず「蜀」が滅びます。
司馬昭の死後、子の司馬炎が「魏」皇帝・曹奐から帝位を(半強制的に)譲り受け、
「晋」皇帝となり、ここに「魏」が滅びます。
その頃、「呉」は皇帝・孫皓の暴政で衰退。「晋」の侵攻により「呉」が滅びます。
「後漢」末から戦乱が続いた中国は、「晋」によって再度統一されました。
で、結論ですが、どれが勝ったかというと、勝ったのは「晋」。
「魏」「呉」「蜀」どれも勝ちませんでした。
でも、あえて勝ち負けをいうなら、
最後まで残ったという意味では、「呉」。
魏を実質受け継いだ晋が再統一したという意味では、「魏」。
のちに二千年近く中国大衆の人気を博し続けたという意味では、「蜀」です。
まず蜀漢が魏の鍾会、トウ艾に攻められて降伏し、その魏も重臣の司馬炎に乗っ取られてしまい滅亡(西晋の誕生)。最後まで残った呉も司馬炎の西晋の将軍杜預に攻められて降伏しました。よって三国時代の勝者は西晋となりますが、一番長く国が続いたということでは呉はある意味勝者かもしれません。
付け加えるならば
蜀→魏に滅ぼされる
魏→司馬炎がのっとり晋に
呉→晋に滅ぼされる
こうして晋により統一され三国時代は終焉をむかえます。
司馬懿もほくそえんでいたやもしれません。
司馬炎が、280年呉を滅ぼし天下を統一した。
よって、三国は、だれも天下をとれなかった。
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