2012年3月27日火曜日

その後の三国志について、教えてください。

その後の三国志について、教えてください。

昨日吉川英治の『三国志』を読み終わりました。

話はだいたい孔明が死んだところで終わっていると思います。



この後、魏・呉・蜀はどうなったのですか?

呉と蜀の同盟は?

仲達は?

劉禅は三国を統一できたのか?



世界史は中学のときにさらっただけなので、ほとんど知りません。

ご教授お願いいたします。







孔明の死後、仲達は遼東の公孫淵討伐に向かい、見事制圧し、

都に帰還しましたが、魏の曹叡は重病となり239年に逝去し、

曹真の息子、曹爽と幼帝の補佐にあたりましたが、十年後に

クーデターを起こして曹爽一派を倒し、魏の実権を握り、251年に

死去します。そして翌252年には呉の孫権も逝去し、実権は孔明の

兄、諸葛瑾の長男、諸葛恪が実権を握りますが呉皇族の孫峻に

疎まれ暗殺され孫峻と引き続き一族の孫琳が権力を握りますが

横暴な政治が反感を買い、孫休が孫琳を倒して皇帝となり、呉は

安定します。一方司馬氏は長男師や次男昭が皇帝を廃すなど専横

を極める一方で蜀討伐を繰り返し263年ついに蜀を滅亡させます。



二年後に晋王までのぼった司馬昭は病死し、後を継いだ司馬炎は

すぐ魏の元帝から帝位の譲渡を強行させ、魏は滅び晋王朝が建国され

ました。271年に劉禅は安楽な生活の中に逝去、280年には孫休の後を

ついだ孫皓も晋にくだり、天下統一は成就しました。しかしその20年後に

晋皇族同士の内乱が起こって異民族の乱入を招き、晋は旧呉の地域に

避難し、隋の589年の統一まで再び乱世の時代が続くのです。








孔明死後の流れです。



①呉 蜀 魏(孔明の死後、約30年間はこの状態)



②呉 蜀←魏(魏が蜀を攻める)



③呉 魏(蜀が滅亡、劉禅は捕虜になるが封されて、天寿を全うした)



④呉 晋(魏が晋に乗っ取られる。仲達の孫の司馬炎が晋の帝位につく)



⑤呉←晋(晋が呉を攻める)



⑥晋(晋による天下統一)







その後を簡単に説明します。

諸葛亮死後、姜維が中心となって北伐を続けますが、効果はなく国力を疲弊させ、最終的に魏の侵攻にあって滅亡しました。ちなみに滅亡した蜀を復興するため立ち上がった姜維は敗れ殺されました。その後魏では重臣司馬懿が権力を握りその繁栄は息子、孫にまで続きます。そして司馬懿の孫司馬炎はついに魏の皇帝から皇帝の座を奪い、国名を「晋」とします。その後弱りきった呉を滅ぼし天下統一しました。







詳細は忘れました。

司馬仲達の孫(司馬炎)が魏でクーデターを起こし中国全土を統一し晋という国を興します。

蜀→呉の順で滅ぼされます。

劉禅は蜀が滅びた後は魏で安らかに暮らして天寿を全うします。

うそかまことか劉禅は魏の臣下から蜀が滅ぼされて魏に囚われた生活はどうですか?

と聞かれ魏は食べ物も旨く満足じゃ、と答え劉禅の臣下だったものからそれはあまりにも蜀のために死んでいったものに申し訳ないと諌められています。ただこの一事から劉禅に野心なしと見られて謀殺されることもなく天寿を全うできたとの見方もあります。

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