2012年3月27日火曜日

レッドクリフⅡについて★三国志(赤壁の戦い)で、諸葛孔明の活躍、人の動かし方や陣形...

レッドクリフⅡについて★三国志(赤壁の戦い)で、諸葛孔明の活躍、人の動かし方や陣形などについて詳しい方800字程度で分かりやすく教えてください(^-^)

お願いします。








r_cube_in_cubeです。パソコンは普段使わないのですが家のパソコンから回答の続きをします!

① これは孔明より周喩の方がかかわったのですが、「苦肉の計」という火計を成功させるための重要な作戦を立てました。

内容は呉の老将黄蓋(こうがい)に火をつける役をまかせたのですが・・・・その黄蓋の体を棒でたたいてボロボロにしました。

呉の将軍たちは唖然としてしまいます。そして曹操に投降書を送ります。その内容は「軍律を破ってしまって罰を受けました。

一度の過ちでこのような仕打ちを受けるのは納得がいかず呉に恨みを抱いた。曹操様の元にくだりたい」というものです。

この手紙を受け取った曹操は喜んでこの申し出を受けました。しかし、これは敵の船団に怪しまれずに近づくための相手を欺く作戦でした。黄蓋の乗った船にわらを積み敵の船団に近づいた途端に火をつけそのまま突っ込み策略は見事に成功し80万とも言われた曹操の大群は壊滅しました。これは「敵を欺くにはまず味方から」という格言を見事に実践したといえますね。

② これも孔明とはあまり関係ありませんが、三国志のなかでも名軍師といわれる孔明と同じ学徒であったホウ統(ほうとう)という人の活躍の話を。

北の方に勢力のあった曹操は、もともと船上戦は呉軍に比べて苦手でした。ホウ統の賢さを知っていた曹操は、家来に我が元へつれてくるよう命令しました。 ですがこのとき既にホウ統は劉備たちの仲間でした。 つれてこられたホウ統は「船全体に安定感をもたせば、揺れることもなく戦いやすくなる。」といって船と船を鎖で固定することをすすめました。 しかしこれも作戦で船全体を鎖で離れられないようにして、火の手から逃げられないようにするための、ホウ統の作戦でした。 ちなみにこれを「連環の計」と言います。③ 赤壁の戦いで大敗を喫した曹操は、残った兵士たちを引き連れて撤退していきます。 孔明はあらかじめ予想をして逃げてくるであろうルートに張飛 趙雲 関羽といった猛将たちを伏兵として配置して、追撃をしました。 しかし曹操はなんとか逃げきることができました。孔明はアフターサービスも行き届いてますね(^o^)



赤壁の戦いは数ではなく孔明や周喩の知略で勝った戦とも言えますね



知っている範囲なので申し訳ないですがこれくらいです。 乱文失礼します。





P.S 北西の風ではなく東南の風でした(笑)








孔明の活躍は…

①矢をたくさん集めるために舟にわらを巻いて曹操の陣に行き、敵襲と見せかけて矢を放たて、舟にささった矢を持ち帰った

②火計の効果をより倍増させるために祭壇をつくらせ、三日三晩祈祷をして北西の風を吹かせ曹操の陣(船)への火計を成功させた

③孔明が将来の大敵になると思った呉の周瑜は戦が終わり劉備の元に帰る前に殺してしまおうと考えたが孔明はそれを見抜き家来にあらかじめ迎えを来させ無事に劉備の元に帰ることができた

大きくこの3つです

携帯から投稿してるので字数がもう限界です(汗)

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