2012年3月27日火曜日

三国志に、詳しい人に、お聞きします。

三国志に、詳しい人に、お聞きします。

①三国志の登場人物の中で、一番尊敬できる人は、誰ですか?

また、その理由を、教えてください。(複数でも構いません。)



②現在でも、通用する(参考になる)策略や妙案などありましたか、教えてください。







〔※「歴史」ジャンルでの質問ですので、史実をベースに回答いたします。〕



①【曹操】です。

漢末三国時代の覇者であることは言うまでもありませんが、

当時の中国にルネッサンスを起こした人物だからです。

◆その一:軍事

漢末三国混乱期の覇者。

◆その二:政治

漢の国教であった儒教による統治から法律による統治に体制を改革。

◆その三:学術

『孫子』に注釈を付けるなど学者として活躍。

◆その四:文化

儒教の呪縛から文化を解放し、建安文学を打ち立てた詩人。



②【大義名分の確立】です。

曹操は、当時の絶対的正義である天子を擁立しました。

これにより、何を行うにも大義名分を得ることになりました。



因みに、「天下三分の計」に関し、

諸葛亮(孔明)が唱えた計略と誤った知識をお持ちの方が多いですが、

最初に「天下三分の計」を提唱したのは魯粛です。

「天下三分の計」自体も魯粛のオリジナルではなく、

すでに春秋時代からあった戦略です。

また、孔明が「赤壁の戦い」に関与したという歴史的事実は

ありません(連合交渉の際、魯粛に付き従った程度です)。



■参考となる文献■

盧弼『三國志集解』(中華書局)※この本は漢文です。

高島俊男『三国志 きらめく群像』(筑摩書房)

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97-%E3%81%8D%E3%82...

岩堀利樹『正史「三國志」完全版』(文芸社)

http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A3%E5%8F%B2%E3%80%8C%E4%B8%89%E5%9C%...








孫権ですかね。

領土問題を根強く主張して、ついに劉備からけいしゅう東部を返還させたので。



魯粛を使って表向きは穏便に、ただ裏では曹操の漢中侵攻のタイミングを見計らってですから、したたかです。



日本もこれくらいうまく領土交渉できるといいのですが。。







自分が尊敬するのは、趙雲 子龍です。



理由は



・劉備の子供劉禅を二度救いました。

甘夫人、縻夫人は片方は助け出す前に殺され、片方は井戸に身を投げましたが

魏の大群の中に一騎で突っ込んで、見事に救いだしたそうです。

もう一度は、孫権の策により送られた孫夫人が呉の国に持ち帰ろうとした劉禅を救い出したそうです。





・また彼は非常に冷静であり勇気があったそうです。

一度司馬懿が大群軍で攻めてきた時、城の門を開け放ち、たった一人で門の前に立ちました。

司馬懿は逆に伏兵を疑い、去って行きました。

その後劉備に「趙雲は全身勇気の塊だ!」と絶賛されています。





・また彼は昔公孫サンに仕えていましたが、劉備の仁徳を見抜き、仕えたいと自ら志願します。

しかし劉備はそれを許可しませんでした。「世界は広い。沢山の君主を見てきなさい」と言ったそうです。

そして数年後、劉備と奇跡的に出会い、仕えることになりました。なんかもってるんですよw





・そして人望の厚かった趙雲は沢山の人から慕われ、見方だけでなく敵からも尊敬される相手だったそうです。



・さらに彼は幾多の戦功を上げ五虎大将軍に選ばれるも、戦死することなく、病死でした。

失敗が少なかったのです。



・彼は若いころから劉備の騎馬隊の調練を行い信頼を得ていたことが分かります。





・また趙雲が亡くなった時に諸葛亮は「蜀の右腕を失った。趙雲がいなけれれば蜀はここまで発展しなかったと言っています。



自分は知っているだけでも、これだけあります。



本、ゲームなどでも、諸葛亮のような軍師、曹操のような君主などが高評価を得ていますが、

武将として知力、冷静さなども加え高く評価されている武将の中に99%趙雲は入っています。





もちろん、諸葛亮、劉備、曹操、孫権、などなど尊敬できる人間はたくさんいますが、

自分は趙雲が一番尊敬できると思っています。







人によりますが、私は、「諸葛亮」字は「孔明」という人物です。



もしこの人がいなければ、三国時代は約60年も続かなかった事でしょう。



この人物は今に言う天才の軍師で、数々の戦いで功績を、あげました。



その中で、最も私が感心した戦いは「赤壁の戦い」です。



この戦いは、日本で言う「関ヶ原の戦い」のようなもので、曹操率いる魏軍

(約80万)は、劉備(諸葛亮の主)、孫権率いる蜀・呉の連合軍(約10万)に惨敗する戦いです。



その内の、一つのエピソードをご紹介します。



連合軍には、弓矢が不足していました。そこで、呉軍の軍師「周瑜」は、諸葛亮に約15万本の矢の調達を依頼します。諸葛亮は快くうなずき、なんとたったの1日で15万本もの矢を集めたのです。



その方法は、古い漁船5隻に大量のわらをつみ、その上に黒い布をかぶせ、敵陣に接近する、というものです。



すると、敵軍は漁船を敵の船だと思い込み、矢を放てと、号令します。



すると、敵軍の矢は漁船のわらに突き刺さり、大量の矢を敵軍から奪うことに成功するのです。



さらに、敵軍の水軍の司令官はこの罪により切られました。



こうして諸葛亮は、だれも思いつかない方法で矢を集めたという訳です







諸葛亮孔明が一番好きですが、ここは渋く荀彧で。

策略は駆虎吞狼の計。虎(袁術)を劉備にけしかけ、隙ができたところに、内部から狼(呂布)によって劉備を倒す。







もちろん諸葛亮孔明です。なんてったって天才軍師ですから。

借刀殺人の計が使えるのでは?敵にデマを流して仲間割れさせる計略です。

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