三国志での蜀の北伐参加者で、優れていた将軍は誰だったんでしょうか?
やはり趙雲が一番かな?そしたら趙雲死後での優れていた将軍は
誰でしょうか・・・?
馬岱?王平?キョウ維?魏延?陳式?関興?くらぃかな・・・
他にだれかいたら教えてください
やはり趙雲でしょう。趙雲は、目立った活躍こそ少ないですが、長坂での劉備の妻子の救出をはじめ、撤退という難しい仕事をこなすという実力を持っています。北伐の際にもその実力は、発揮されます。また冷静な考えの持ち主でもあり、劉備にも、孔明にも信頼されていました。
次に魏延でしょう。彼は、相当な強さの持ち主で劉備には、好かれていました。しかし、孔明には登用の際にも反骨の相があるから殺すべきと反対し、彼に疑いを持ち続けました。結局のところ孔明の死後に彼は、裏切りました。しかし、実力があったのは事実でしょう。
その他には、あまり目立った活躍をした人はいません。関興、張包も実力はありましたが、すぐに死んでしまいますし・・・。
第一次北伐時の軍の序列は諸葛亮>>李厳>趙雲=魏延であったはずです。このうち李厳は漢中方面ではなく永安方面、つまり対呉方面の指揮官です。権限や封領はデカいけど首都の成都からも最前線の漢中からも遠い。実際は政治や軍事の中枢から外れてる格好ですね。李厳は目に見えるような大きな軍功がないので、どれほどの優れた将軍かは不明です。
趙雲と魏延はそれぞれ中護軍・鎮東将軍と涼州刺史・鎮北将軍。あまり差は無さそう。ただ趙雲は第一次北伐では別働隊を任されており、信頼の高さが窺えます。しかも曹真相手に寡兵ながら囮の役目を果たし、大敗することなく引き上げてる。やっぱり大したことありますね趙雲は。魏延は第四次北伐で別働隊を任され、涼州を突破して郭淮をボコボコに打ち破っています。その後仮節・征西大将軍。たぶん劉備亡き後の蜀で最も軍事的に優れていた将軍です。
王平・姜維も優れた将軍です。特に姜維は勝ちっぷりも負けっぷりも凄い。ただ姜維は諸葛亮に使われる立場だった魏延や王平らと違い、自らが戦略立案し軍を動かすことが出来た。費禕が生きてるときでさえ1万以下とはいえ好きに軍を動かせています。魏延らとは一概に比較はできませんね。
他にも張嶷や馬忠なども優れた人物ですが、彼らは異民族の監視や懐柔が任務だったのでちょっと目立たないですね。馬岱や陳式は記述が少なすぎて何とも言えない、関興は何かする前に死んでる。
劉備死後の蜀で一番優れていた将軍は諸葛亮。これは間違いありません。「正史の諸葛亮は弱っちい」なぁんての大嘘です。次いで魏延、趙雲というところでしょう。
正史には馬岱・陳式の活躍はほとんど触れられず、ゆえにその扱いも軽いものだったと推察できる。
張苞は若くして死亡し、関興も早くに病死して孔明を嘆かせたという。
第一次北伐で活躍した将は趙雲・魏延と王平であったといえる。
馬謖の命令違反により敗れた蜀軍では趙雲ですら降格となったのに王平のみ昇格という栄誉を受けた。
この時、姜維は蜀に帰順している。
第二次北伐では魏の郝昭の名が蜀に轟いた事と魏の王双を討ち取ったのみに終わった。
尚、翌年趙雲は没した。
第三次北伐では陳式が大活躍した(陳式が魏に侵攻して二拠点を確保し孔明が後詰めした)というかが彼の活躍はこの時のみで、これ以前もこの後も正史には登場しない。
第四次北伐では王平は一方の将を任されたが成果はなかった。
蜀軍は追跡してきた張郃を射殺した。
第五次北伐では孔明が陣没したがこの時後継に指名したのは魏延でも楊儀でも姜維でもなく、蔣琬と費禕であった。
撤退中、魏延は楊儀を討とうとしてこれを反乱と報告され討たれるが正史では討ったのは馬岱ではなく名前は残っていない。
孔明死後、蔣琬は北伐再開を企画したが大将軍の費禕はこれを退けた。
戦争が専門ではない蔣琬は北伐を再開することができず、姜維は費禕に嘆願したがガンとしてこれを認めず、姜維が功績を挙げて出世しても大軍を任せることはなかった。
244年に魏の蜀侵攻があったが、費禕は王平と協力してこれを防いだ。
248年に王平は死去し、253年に費禕も宮中の宴席において魏の降将に襲われて死亡した。
249年、魏で政変がおき、夏候覇が蜀に亡命してきていた。
この後軍を掌握したのは姜維と張翼そして廖化であった。
張翼は北伐に常に反対していたが姜維の北伐論が常に採用され255年頃から毎年のように北伐が繰りかえされた。
また、廖化もあまりに頻発される北伐を批判した。
姜維は張翼を高く評価していたのか、常に北伐に参加させ夏候覇も重用したが彼は259年ごろ死去した。
263年蜀の滅亡時には三将はともに剣閣に篭って抵抗し、劉禅降伏によって降伏した。
この後、姜維と張翼は姜維の仕掛けたクーデターに巻き込まれて死亡し、老人であった廖化は洛陽に護送される途中に没した。
史実の趙雲はたいしたことありません。
特に大きな武勲はなく、三国志演義での脚色で優れているように見えるだけの武将です。
当時の蜀で最も優れた武将は魏延…張飛をさしおいて対魏の最前線であった漢中の太守になっていることからもわかるように先帝(劉備)にもっとも買われていた将軍です。
質問者のあげた武将以外に優秀な将軍は、張翼、張嶷、馬忠、廖化…まぁ小粒なメンツですね。
ダントツでキョウイです。
頭が良いし、強い。
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