2012年3月9日金曜日

三国志は、諸葛孔明が死んだところで終わりにしているのでしょうか。

三国志は、諸葛孔明が死んだところで終わりにしているのでしょうか。

呉がほろんで、晋が天下統一をするまでがお話になっているのが本当なのでしょうか。

最後の方は面白くないので、

孔明が死んだところで終わりにしている話もあるのでしょうか?







日本で一般的に言われる「三国志」は、

「三国志演義」を元に書かれた小説です。

仰るとおり、三国志演義は諸葛亮の陣死(234年)をもって、

クライマックスを迎えます。



その後の晋統一(280年)までの46年間は、

いうなれば玄人受けする内容です。

たしかに、面白くないともいえるかもしれませんね。



ですので、一般受けするよう書かれた小説は、

諸葛亮の死で物語の終焉を迎えるものが多いです。



諸葛亮が五丈原で陣没するまでの物語としては(文庫本)・・。



〇三国志(吉川英治)講談社・・全8巻

〇完訳三国志(村上和行)教養文庫・・全5巻

〇秘本三国志(陳瞬臣)文春文庫・・全6巻

〇興亡三国志(三好徹)集英社・・全5巻

〇三国志(北方謙三)ハルキ文庫・・全13+2巻



それ以後も含めての物語としては(文庫本)・・。



〇英雄三国志(柴田練三郎)集英社・・全6巻

〇英雄生きるべきか死すべきか(柴田練三郎)集英社・・全3巻

〇呉三国志長江燃ゆ(伴野朗)集英社文庫・・全10巻

〇小説三国志(鄭飛石)光文社文庫・・全3巻

〇三国志(宮城谷昌光)刊行中



ただし、諸葛亮死後、晋の統一までを描ききった小説は、

上記の中では、柴練の「英雄生きるべきか死すべきか」と、

伴野さんの「呉三国志」しかありません。

(宮城谷さんの三国志は期待していますが・・。)



小説の元ネタである三国演義120回本の訳本は、

下記の4種が有名ですが、どれも基本的には同じ内容です。



〇三国志演義(井波律子訳)ちくま文庫・・全7巻

〇三国志演義(立間祥介訳)徳間文庫・・全4巻

〇完訳三国志(小川環樹ほか訳)岩波文庫・・全8巻

〇三国演義(安能務訳)講談社・・全6巻



この4種も、

184年の黄巾の乱勃発から、104回で諸葛亮の死を迎えるまでの、

50年間の興亡史は、血沸き胸躍る展開ですが、

残りの16回で46年間を駆け足でなぞるため、

物足りなさは否定できません。



「史実になるべく近いもの」だと、

『正史三国志』の訳本を読まれるしかありません。



もちろん1800年前の歴史書ですので、100%史実だとはいいません。

誰も曹操を見たことありません。

赤壁の戦いを経験した人はいません。

でも、三国演義のような史実とフィクションが入り乱れた物語ではなく、

あくまでも王朝が認めた歴史書ですから、

今の時代ではこれでしか当時の状況を窺い知るすべがありません。



●正史三国志(今鷹真ほか訳)ちくま学芸文庫全8巻

ただし、

登場人物の生まれてから死ぬまでのパーソナルデーターの羅列ですので、

それぞれの段落で年代が繋がっておらず、ある意味ストレスが溜まります。

魏書228人.

蜀書83人.

呉書129人.計;440人の伝記、

一度でも名前が出てくる人数は、4894人います。正直しんどいです。



是非読まれるべきだと思いますが、

チョッと覚悟がいります。演義とのギャップを含めて・・。



上記で挙げた本は、大きめの書店で入手可能かと思います。








横山光輝『三国志』では、

諸葛亮の死後も描かれております。



五丈原から撤退した後、司馬懿が魏を滅ぼし、

司馬昭が、不落剣閣に籠る姜維たちを攻め、

蜀が滅びるまでを描いています。

ラストシーンの劉禅の情けなさが、それまでの

幾多の英雄の活躍を、あれは何だったのだろう?

という後味の悪さで終わっています。







三国志演義では西晋の統一でもって完結しています。

しかし正直後半(孔明死後)は面白みに欠けますから、孔明の死が実際最終回みたいなものです。

三国志の王道である吉川英治の「三国志」は確か孔明の死で終わっていたような気がします。見ていないので分かりませんが。







「三国志」というのは、もともと三つの国が中国の支配をめぐって争った時代についての歴史書なので、当然、晋の再統一まで続きます。



一般に三国志と言われているのは、これを元ネタにした「三国志演義」という小説です。小説といっても何百年も前に書かれたものですが、これも晋の再統一まで書いてあります。



ただ、その「演義」をさらに元ネタにした、そのへんに売ってる現代に書かれた小説や漫画、ゲームはたいてい孔明の死で終わります。

孔明が死んだあとは主人公らしき人物がおらず、物語として構成しにくいようです。







私が知る限り孔明の死で終わる史書は存在しません。



しかし、仮に存在するのであれば、劇や物語においてそこで切ることはあるやもしれません。



通常三国志は西晋の陳寿によって編纂されたものを指しますから、三国志は仰るとおり呉の滅亡あたりまでを範囲にします、



実際は編年体(年ごとの記録)ではなく紀伝体(それぞれ個人であったり物事ごとに章が定められている)ですから厳密には



何年までというのは難しいのではないかとも思いますが・・・・



一方一般に「三国志」と呼ばれやすい「三国志演義」の方は施耐庵又は羅貫中の作とされていますが、これも陳寿とほぼ時期を重ねているので同様かと思われます。

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