三国志でもしも諸葛孔明がもう少し長生きしたら
蜀はどうのようになったと思いますか?
自分の予想ではいくら孔明が存在しても魏を滅ぼすのは無理と思います。
蜀には孔明以外に趙雲、関羽のような武将がいない上に魏は人口も多くライバル司馬忠達など優秀な
人材も多いですから
生きてたとしても魏を滅ぼせず蜀をなんとか維持できたに過ぎないと思います。
皆さんはどう考えますか?
孔明が長生きしたとしても、魏との国力、兵力差は明らかであり、主さんの言う通り、魏を倒すことは不可能だったでしょう
ちなみに、私は劉禅が無能だったとは思いません。たしかに父親の劉備に比べては劣るでしょうが、父親無き後のショクを長い間、保ち続けてます。いくら優秀な文官、武官が居たとしても、君主が無能ならその国は破綻していたでしょう
あと25年、80まで生きて健在ならば、魏と形勢逆転した可能性あると思います。 魏では曹叡死去後、司馬一族と曹爽派の権力闘争が起きました。また有力者の夏候覇や鐘会などの離反や北方辺境での反乱もありました。
仮に諸葛亮が健在ならば、実際とは勢力バランスが微妙に異なったでしょうから、もしかしたら司馬イ失脚や魏の内部分裂が起きて一気に逆転なんて可能性もありえると思います。実際、司馬の晋は内紛で短期に弱体、過去には秦や項羽の楚もあっさり滅びました。いくら人口・生産力や人材に優れた国でもタガが緩めばすぐ衰えます
100年生きれば別ですが、5年10年では何も変わりません。
天下は平地をとった国が勝ちます。山岳地帯がメインでは無理です。
蜀の優秀な人間だって元は平地から流れてきました。
だから少しがんばれたと思います。
人も資源も無尽蔵にあつまる平地国家には勝てません。
1.諸葛亮が長生きしていたら。
名前だけは売れていたはずですから、ボロさえ出さねば、怖がって誰も攻め切れないという可能性はあるのでは?
全くの私見ですが、諸葛亮が慎重だったのは、名前で国を維持していたからではないですか。
2.劉禅は決して無能ではないでしょう。まがいなりにも、40年も皇帝を張っていたわけですから。中国人に聞いても、特に暴君暗君で有名なわけではありません。「誰それ?」の世界です
前漢時代に例えて言うなら、劉邦、韓信が死んで
張良、蕭何だけで戦ってたようなもの。
後漢時代に例えて言うなら、劉秀、雲台二十七将が
死んで、寇恂だけで戦ってたようなもの。
本来首都を守る盾であるべき人材「孔明」だけ長生き
しても、あまり結末は変わらなかったでしょう。まあ、
中途半端に劉禅さまが優秀だったりすると、他の時代に
蜀に割拠した公孫述(後漢初期)らのように郎党皆殺し
という結末になる可能性もありましたが。
五代十国時代の(後)蜀も主君の孟昶(もうちょう)が
優秀でしたが、北宋に破れ、毒殺(ほぼ処刑)された
上に、蜀の財産を根こそぎ奪われる目にあってますから。
劉禅さまはああみえて、上手く蜀をたたんでくれたと思いますよ。
全滅主義が美しいと思う人には不服でしょうけど。
二代目でダメな人って彼以上の人ごろごろいますから。
呉の孫晧や、後趙の皇帝・石勒の後継者、石虎のような
殺人狂じゃなかったぶん、蜀の民にとっては幸せだったのではないかと。
>孔明に関することわざ
・『事後諸葛亮』
(物事が終わってから諸葛亮)
物事が終わってから、俺はこうなることを予想していたと言う人。
早めに言え。
・『借東風殺曹操』
(東風を借りて曹操を倒す)
意味は、他人を使って人をやっつける。
・『聡莫過于諸葛亮』
(諸葛亮より賢い人はいない)
…まあ、三国志演義限定なら。
・『孔明七擒孟獲』
(心から心服させる)
200年前、馬超の先祖、馬援さんは一撃で南蛮の
徴姉妹、屠りましたが。
・『三顧茅盧』
(こっちに中々来てくれない)
伏龍、鳳雛を得たら天下を取れるという話
だったのに…JAROに報告だ。
5回攻めて魏から刈り取った領土は漢中の近くの山奥の2郡のみ。考えるまでもないでしょ。孔明が長生きしたところで何度攻め込もうが魏にはその何倍もの兵力で迎撃できる。蜀は将兵がいない以上に魏に長期遠征できる兵糧すらままならない。仮に孔明じゃなくて司馬懿が率いても無理。曹操や孫策ならまだ期待感あるけど。
むしろあんな小国、しかも派閥争いが激しい国でよく5回も攻め込むだけの地力をつけさせたなと尊敬します。生半可な苦労ではなかったはず。しかも一度は長安を奪えるチャンスさえ作った。三国志でも屈指の名将でしょう。
・補足について
劉禅は本当に無能だったんでしょうかねぇ?私はそうは思えないんですが。孔明1人有能でも孔明は君主じゃないんだし。亡国の皇帝ということで不当に貶められてられていることを忘れてはいけないでしょう。
『事後諸葛亮』
こんなのあるんだ…演義の孔明に対する皮肉ですかね?演義では多々思い当たる節があるんですが。なんか笑えることわざですw
孔明が長生きしてもかわらないですね。
結局北伐の回数が増えて、国力を疲弊するだけでしょう。
史実でも孔明がしたかったことを姜維がしただけですね。
そのうち魏に攻められて陰平をわたられて蜀の滅亡に立ち会うだけですね。
(まぁ、そのまえに寿命がつきると思いますけど…)
====(以下追記)====
>孔明は相当な睡眠もろくにとらず苦労重ねたので過労で病気になってしまったのですね。
↑自体が蜀が滅びた原因の一つです。
演義か正史のどっちに書いてあったかは忘れましたが、本来であれば下級官吏がやるべき仕事まで孔明はやっていたという記述があります。
孔明がなんでもやってしまう性格だったのか、他の人材がいなかったのか…それとも両方なのかはわかりませんが、国のトップの人間というものは適材適所に人材を配して、各部門に対して方針を支持して、結果の報告を受ける…これでなくては政治というものは回りません。
どんなに優秀な人物といえど時間は24時間しかありません…他の人間を使ってこそ優秀な人間です。
それができない人物は、個人としてどんなに優秀だとしても政治家/為政者としては無能と言わざるおえません。
史実では孔明の死後、蜀の人材はどんどん先細って行きます。これは蜀自体に人がいなかったというわけではなく、孔明自身が人材の育成ということをおろそかにしていた結果だと思います。
劉禅は遊び呆けていたわけでなく、政治を能力のある孔明に任せていたということで、優秀ではありませんが皇帝としては魏の曹叡、呉の孫皓らの皇帝と比べてはるかにましです。
暴君/暗君の特徴としては功臣の粛清、大規模な宮殿/陵墓の造営など民を苦しめるような政策を行います。劉禅は特に政治に積極的にかかわりませんでしたが、上記のような愚行/蛮行もしていません…要はなにもしていないというわけです。
水準以上とはいえませんが長い中国の歴史の中では平均レベルのぎりぎり合格点を上げてもいいレベルの皇帝だと思います。
孔明=天才、劉禅=アホ…読み物としての三国志を考えれば質問者の意見でも良いと思いますが、表面的なモノのとらえ方では本質をつかむことはできませんね。
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