三国志 孔明が長生きしてたら、蜀は滅びませんでしたか?
三国志が、まったく分かりません。
以前、TVであった「三国志」を貸りて見たんですが(横山光輝の絵のアニメ)
赤壁の戦いで最終回でした。「戦いは、まだまだ続く・・・」みたいな感じで終わってました。
続きを、本で読もうと思ったんですが個人の名前が難しく、登場人物が多そうで挫折しました。
それで調べたら、蜀は、劉備が死んで短期間で滅んだみたいですが、もし孔明が長生きしてたら大丈夫だったのかな?と
考えてしまったんですが。。
そこで、三国志に詳しい人・好きな人に質問したいんですが
① 蜀の武将など、全家臣を含めて「コイツが長生きしたら、魏・呉といい勝負ができた!いやいや、統一もできた!」と思う
家来は、誰ですか?
3人までとしたら、誰でしょう?長生きと言うと漠然としますので、寿命が30年延びたとします。
②孔明だけ、長生きした場合、蜀は、それでも滅びたと思いますか?
①魏・呉の当時の状況からして無理でしょう。
また、蜀の家来が全て統一した考え、行動ではないからです。
特に最初の方(横山先生の漫画では初めの第1話か、その直ぐ後)で
劉備と「桃園の誓い」をした関羽、張飛と云う武将がいますが、
その内の関羽が呉で殺された後、当然劉備と張飛は
呉を攻めようとしましたが、孔明を初めほとんどの家来が
反対でした。それで強引に蜀は呉と戦争をして
間もなく劉備は死にます。
その前に蜀が荊州という土地を呉と争ってましたが、それについても
家臣たちの行動と考えは統一されてません。
だから、誰か人望、強さ、政治力で秀でた人物が蜀で寿命が30年延びたとしても
三国の中で最も早く滅びたのは蜀でしょう。
②孔明については一説には
「本当の実力を出せば蜀だけでなく中国全土を統一出来た」…A
「『物語』は敗者である蜀を主人公にしている、そして『魏』を悪者にしている」…B
Aについては三国より前に劉邦と云う人が『漢』と云う国をつくり(つまり中国統一)当時の有能な
部下の中でも「韓信」という特に優れた人がいました。細かい説明は省略しましすが、劉邦が
成功したのもこの「韓信」がいなければ無理でした。しかし統一後、劉邦は人を疑うようになり
有能な部下たちも疑って、劉邦と部下たちの間に溝ができて韓信は殺されました。
孔明はこういう史実から「全て統一したら我が身が危ないので『三国』に分ける方法を通した。
という説です。(勿論、孔明本人でないので実際は謎です。)
韓信については http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E9%9F%93%E4%BF%A1&dtype...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1
など沢山のHPがあります。
B横山先生は正式な歴史という資料と明《http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%98%8E+%E3%83%9F%E3%8...》の時代に書かれた
《三国志演技》という小説も元にしてます。小説では曹操が悪役になったり、孔明が大人気になる書き方をされてます。
《死せる孔明行ける仲達を走らす》の仲達も実際より愚かものに書かれてるといいます。
特にこの仲達は曹操死後Aの孔明と同じ理由で持ってる実力全てを出さなかったという説もあります。
Aの孔明は実力を出し切らなかったにせよ、Bの孔明が大人気者になる小説がきっかけにせよ、
蜀が三国の中では最も早く滅びた可能性は高いです。
大変長くなりました。
①孔明の長生きが第一条件として、
まず、鳳雛(ほうとう)でしょう。蜀に入る際に流れ矢にあたって、さっさと死んだのですが、ゲームの三国志をする分にはこの武将が長生きしてればなと思います。
そして、関羽ですね。この関羽と共に、ほうとうが参謀に着いていれば、あるいはけい州の地を奪われずに済んだのではないかと思ってしまうのです。そうすれば、りゅうびも張飛もあだ討ちに行く必要も無かったわけです。
②孔明だけ長生きしても滅びるでしょうね。ゲームをやって思うのですが、自国の成長だけでは駄目な訳です。他国の成長のスピードに勝らなくては駄目なのです。蜀と呉は一心同体で魏にあたらなければ、どう考えても勝てる要素が無いのです。関羽が呉と争い、敗れたことで全てご破算です。それまでの赤壁の勝利や入蜀も全て水の泡です。魏の曹操は、蜀の建国までに驚くほど速いスピードで国力を増強させています。その構成力を称えるべきでしょう。りゅうびは曹操と比較すると失敗しすぎです。しいて言えば、もっと早い時期にジョシュウあたりでリョフに国を奪われたりしている時期に、孔明を軍師として迎えていれば、リョフも部下となり、早い時期に孫権と対立し、呉の地あたりに蜀を建国していたかもしれません。そうなっていれば、南北朝時代、その後、曹操が亡くなり、司馬緯がクーデターを興し、魏・蜀・晋の三国時代になっていたかもしれませんね。そうなっていれば、あるいは、建業が首都の蜀が三国制覇していたやもしれません。五虎将軍も七虎将軍に(リョフ・カンウ・チョウヒ・チョウウン・バチョウ・コウチュウ・チョウリョウ)となっていたことでしょう。
むしろ劉禅(劉備の息子で、中国史上最大のバカ殿とされています)が早死にしていれば…まあ最終的な結果は変わりようがありませんが(笑)
赤壁の前、劉備が荊州を曹操の手に渡してしまった時点で大勢は決してしまったと言って良いでしょう。
最近新装版が刊行されている、蜀(漢)が中国を統一するという架空戦記「超・三国志」も、その前から始まっています。
蜀に封じ込められてからではあまりにも遅すぎるのです。
①そのような人物はいません。それ以上に国力・兵力の差が大きすぎました。
②そもそも孔明は有能な行政官・政治家であって、戦術指揮官・軍師としては並以下であったことが史実です。
どちらにしても、蜀という国の国力では魏にも呉にも勝てません。(国力比は、蜀1に対して魏が6・呉が3です)
しいていうなら、劉備が馬鹿やって呉と戦うような愚作を行わなければ、まだ連合作戦でもっと長く命脈を保てたかもしれませんが、その場合でもやがては滅ぼされたでしょう。
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