2012年3月13日火曜日

三国志の孔明の北伐で長安を目指していたのは

三国志の孔明の北伐で長安を目指していたのは

三国志の孔明の北伐で蜀軍は長安を奪取できませんでしたが もし長安を落としていれば蜀にとってはかなり重要な戦略拠点になったのですか?当時の魏国にとっては長安はそれほど失ってはならない拠点だったのですか?







当時は洛陽と長安を含む地域を三輔と言って、人口の集中する政治・経済の中心地でした。現在の日本で言うなら東京・横浜を中心とする首都圏にあたります。

その一角を敵国に占領されたらどうなるか、言うまでもないでしょう?



ただし、当時の勢力図で長安だけ占領しても、洛陽を含む河北地域と涼州とは魏の領土ですから、挟撃されて維持できません。

そのため諸葛亮は最終攻略目標を長安としながらも、まず涼州の攻略に全力を注ぎました。

北伐は、結果的に涼州すら制圧できずに終わってしまいます。








それはそうです

長安は大都市ですから

トウタクの元 本拠地ですよ







長安を取れば洛陽に攻めやすい。

洛陽を取れば魏の本拠地の許昌に攻めやすい。



長安を取られたら魏にとっては首に剣を突きつけられたも同然でした。



周りの城をいくつも落とすよりも本拠地を落としてボスを倒せば早く戦争は終わるでしょ。

0 件のコメント:

コメントを投稿