2012年3月21日水曜日

三国志の蜀で徐庶か鳳雛のどちらかが北伐(227年)以降、蜀にいたら孔明と二人で天下...

三国志の蜀で徐庶か鳳雛のどちらかが北伐(227年)以降、蜀にいたら孔明と二人で天下を獲れたと思いますか?







作戦、立案する人材が増えても、それを実行できる人材もまた必要。



演義で活躍している関興、張苞や馬岱といった武将の活躍は全て架空。いったい誰が軍勢の戦闘に闘ったのか?…いないんです。北伐を開始したころは、魏には曹真、曹休、張郃、司馬懿といった軍団長クラスの武将がいたのに対し、蜀には関羽、張飛以降いないんですよ。



それに蜀の人口は約94万、対する魏は約443万と言われています。少なく見積もっても7倍の国力差。



無理でしょう。



え?劉邦は同じ漢中から天下をとったってか?あれは対する項羽サイドが不安定で、いくら強大な力を誇る項羽にも付け入られる隙があったから。この時点ではまだ魏はほぼ鉄壁。無理でしょう。








徐庶の軍師としての劉備達を勝利に導いた話はすべて小説上の造り話なので軍事で徐庶に期待はできないですし、

龐統も益州軍にすら戦って戦死しているようでは魏や呉にはとうてい勝利なんてできないでしょう。



劉備軍が連勝して強かったのは法正が軍師でいたときだけだと思います。

法正がいたとしても国力や武将の人材不足で平定は難しいかなと思います。







北伐以降、蜀の武将の非力さが目立つように思えるので

孔明と鳳雛(or徐庶)がいたとしても魏や呉の猛将と「いい勝負」は出来ても

天下を取るのは無理だったと、僕は思います。







どんなに素晴らしい軍師が一人や二人増えたところで、圧倒的な国力の違いはいかんともしがたかったと思います。

頑張っても長安のひとつくらいは獲れたかもしれませんが、結局奪回されるのがおちでしょう。それほど、魏と蜀、呉の差は大きなものです。孫権は呉王くらいで満足できたかもしれませんが、蜀はその国の成り立ちが「魏を倒して、漢を再興する」ことでしたので、諸葛亮も何度も北伐を繰り返していましたが、やはり夢を追っていたにすぎなかったともいえます。

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