三国志の崔州平について詳しく教えてください。
三国志の崔州平について詳しく教えてください。
マイナーキャラですが、結局彼の言葉どおり、世に出ずに終わったのでしょうか。
現在でいうとニート・・・(ぇ。
正史『三国志』では、崔州平は蜀書諸葛亮伝にしか登場しません。
孔明が荊州にいたときの友達が崔州平と徐元直だったあるだけです。
注のなかではもう少し記述がありますが、後漢の崔烈の子で、
石廣元﹑徐元直﹑孟公威と友人だったというくらいの情報しかありません。
崔州平というのも、あきらかに字(あざな)ですから本名すら分からない人物です。
当然、その後の人生も不明のままです。
どこかの国に仕えていれば、記録が残っているはずなので、
それがないということは、隠逸の士であったのか、無能であったのかと考えられます。
父は後漢の大尉ですから名門といえるので、清流人士でありながら出生できなかったのは
何か問題があったのでしょう。
ちなみに、演義の中でも同輩的に登場する徐庶(元直)、石韜(廣元)﹑孟建(公威)はみな
魏に仕えています。
就職先としては至極当然の選択でしょう。(各々そこそこ出世している)
諸葛亮の就職先が珍妙ではあったが、みな社会的に成功したといえるだろう。
崔州平が謎なのはやはり戦乱の中で早死にしたのではなかろうか。
出仕を拒んだとも考えられるが、竹林の七賢の事例から考えれば、
隠逸志向があったとしても社会的な地位は保っている場合が多いので、
出仕しないという選択肢は可能性が低いと思われる。
ちなみに、諸葛亮をはじめとしてた彼らは荊州という避難所で勉強していたわけで
ニートではない。
ところで、正史『三国志』などはネット上でも閲覧できるので、できれば自力でも調べてみましょう。
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