三国志。諸葛孔明は天文学者だと思いますか?
当時の治世担当者や、軍師と呼ばれる人たちの嗜みとして、
占星術や、天文学、気象学などは必須科目だったんではないでしょうか。
あと、情報収集力とかその分析力も必要でしょうね。
占星術は、
紀元前2100年頃、
夏王朝の中康帝に仕えた古代の占星術師である羲氏と和氏は、
皆既日食を予想できなかったため、帝がひどく憤慨し、
2人を処刑したという古い記録が残っています。
古代の中国では帝の未来を示す兆しを探すために
暦体系の改良が重ねられたため、
日食の記録なども、何世紀もかけて着実に、
そして正確になっていったといわれます。
日食に関する体系的な日付入りの記録が始まったのは
なんと紀元前719年のことです。
そういうデーターの蓄積が治世や農業生産、
軍事の面でも生かされたのは想像できますね。
天文学でいうと、
中国の山東省臨汾市で、4100年前の「天文台」の遺構が発見されています。
直径が40mほどの半円の遺構の周辺には、13本の柱が立っていたそうです。
これは隙間から差し込む光によって「暦」を作り出し、
また犠牲を捧げるための施設もかねていたと考えられるそうですが、
考古学者達は、実際に18ヶ月を費やしてその遺構の精度を確認し、
現在でも中国で使われている暦との差が、
わずか1日ないし2日で有ることを確認したそうです。
気象学も、
今で言う風水にも関係しています。
風水自体は今から4000年前の中国に遡ります。
古代の学者達は、自分達を取り巻く自然環境から、
「気」のエネルギーについて研究し、
天文学・気象学・地理学・物理学・心理学・医学にまたがる
膨大な経験則、統計値を、
「風水」というシステムにまとめ上げたといわれます。
今も使っている、十二支・十干・二十四節気・五節句・五節供・雑節など、
気象学とも密接な関係があり、
赤壁で風向きを変えたのは、諸葛亮ではなく、自然であったとしても、
それを読みきって勝利に結びつけた(いいように解釈してですが・・)のは、
気象学、天気予報に秀でていたということなんでしょうね。
大昔は、政治家と科学者は紙一重のようなところがあるので、
農政学上の必要から、天文学に詳しかったことは、充分可能性がありますね。
なんと言っても食糧生産の安定こそが、国家経営で最も重要かつ基本の時代ですから。
古代文明でも、天文台と言われる遺構や
天体運行を記録・分析したものはあります。
極端に言えば、暦などは最もたるものです。
それらは全て、政治家の仕事だったのですよ。
そうかもしれません。
風を操ったんですから。
それ以上かもしれません。
思います。
気象予報士でもありますね。
占い師でもあります。
よく当たるって評判になると思います。
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