三国志で、趙雲と諸葛亮ならば、どちらが好きですか?それはどうしてですか?
諸葛亮です。
呉の張悌の逸話によると
呉の天紀四年。(280年)西晋の大軍を迎え撃った呉の丞相・軍師”張悌”は、敗走濃厚な状況となったとき副将の諸葛靚に向かって、
「今日はわが死すべき日である。
子供のころ卿の丞相の知遇を受けたことがある。それからずっと今までこの栄光に背かない立派な死に方をしようと心がけてきた。国家のために一身をささげよう。逃げることが考えられるかと。」
五・六百の残兵を引き連れて”張悌”を置いて敗走した諸葛靚であったが、百歩ほど走ってから振り返ると張悌はすでに敵の手にかかっていた。
呉の丞相・軍師”張悌”の逸話ですけども、この知遇を受けた丞相というのは諸葛瑾と考えるよりも、荊州にいたころの諸葛亮と考えられています。
一度あった少年に深い感銘を与えた諸葛亮の人格や人柄と言ったものは、いったいどれほどの器量を備えていたのか……。
ヤハリ、当時の時を経ずして「孔明の亜なり」、といわしめた名将羊祜をみても。その時代にはすでに評価が著しく高かったことを示しており、いわんや後世に与えた影響の深さは推して知るべし。
(*´ω`)
清の康熙帝でさえも
『人臣たる者ただ諸葛亮能くかくのごときのみ』
と、孔明の「鞠躬尽力死して後やむ」の遺詔を引いて篤実なる人物像を嘆賞しています。
時代や立場の違いにより評価の上下はあるものの、おおむね押し並べて公平で清廉・無私な政治と私生活の篤実な人柄が高評価を維持しています。
中華の長い歴史からしても、人気を保ちえた人物はそうはいないでしょう。
趙雲です。
趙雲は、五虎将のひとりで武勇に優れていますし、長坂の戦いでは、民や、妻、臣下の武将を置いて逃げる劉備の、二人の妻と息子を救ったり、劉備に必要な人物だと思うからです。
諸葛亮も劉備にとって必要な人物ですが、後世の創作によって、現実を遥に超えてしまっているので、趙雲のほうが好きです
どちらかというと諸葛亮ですね。
彼の生き方は今の社会にも通じるとこがありますからね。
農で得た知恵や経験は大変大事です。地の利を知りそれを的確なところでサポートする。それだけのことですが神のごとく天候すらも味方につける~(笑)ですので。
その人の劉備の遺言通り劉備の子まで尽くすなど恩義にあついところなど評価できます。
人間くさいところが好きですね。
どちらも真面目で面白くありませんがどっちかといえば孔明です。
とにかくたかが三顧の恩を命をかけて返そうとした人ですから。劉備は彼なくしては国すらもてなかったでしょう。
趙雲は忠節は劉備に対しては凄いですが、その前に袁ショウ、公孫讃と2回も主を変えてます。一度でも禄を食めばその君主が頼りなくても忠節を尽くすのが真の武士で、張任を見習って欲しいものです。
趙子龍ですね。
三国志のキャラでは一番好きだし、武人としては素晴らしく忠義に篤いですね。
機転もよく効きますし、長年軍事畑でやったことは高く評価できるのではないでしょうか。
両者を較べてどちらが好きかと問われれば、私は諸葛亮と答えますね。
趙雲は確かに、武将としての実力も公人としての信頼度も私人としての見識も素晴らしいものがあり憧れますが、彼には大局を見定める視野(戦略眼)が欠けており、悪く言えば「他人に言われるがままに動く人物」であり、自らが大局的な見地に立って他人を手足のごとく操る人物ではありませんでした。
それに較べて諸葛亮は、公人としての公平性、私人としての見識、為政者としての能力を高いレベルで兼ね備え、しかも大局的な視野を持ち王者霸者の補佐をするに充分すぎる能力を備えていました。
さらに不得手とされる軍事面でも充分以上の実績を残しており、君主を補佐するNo.2としては満点に近い評価をする事ができます。
男子として生を受けたからには頂点を目指すのが正道であるとは思いますが、残念ながらそれには天賦の才能(カリスマ性や英雄性など)が必要であり、それを持たぬ身としては王佐の地位を目指したいものです。
まあ、現実には叶いそうもないですが…( ̄∀ ̄;
趙雲の方が好きですね。
男ならば知力よりも武力がある方が
カッコイイからです。
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