三国志について
歴史上の三国志についてストレートに聞きますが、
結局誰が、中国大陸制覇?or三国統一?をしたんですか?
魏の重臣・司馬懿(字・仲達)の孫、司馬炎です。
以下、諸葛孔明没後の略歴です。
AC234:蜀の諸葛孔明が病没。(蜀衰退の始まり)
AC249:司馬懿が魏の実権を手中に収める。
AC263:(司馬懿の子・司馬昭の時代)魏が蜀を滅ぼし併合。
AC265:司馬昭の子・司馬炎が魏皇帝の禅譲により「晋」の皇帝に即位。(魏の滅亡)
AC280:司馬炎が三国で唯一残っていた呉を滅ぼし、天下統一。
魏呉蜀と三国に分かれてからは263年に蜀の第二代皇帝劉禅が魏に降伏し、蜀が滅びます。
その後、司馬懿の孫の司馬炎が禅譲を受けて晋を建国し、265年に魏が滅びます。
最後に残った呉も、その後280年に晋に降伏して三国時代が終結します。つまり、三国時代の
最期の勝利者は司馬一族という事になります。
魏の司馬懿の孫の司馬炎が晋を建国し大陸制覇しましたが、50年ほどで滅亡しました。晋滅亡後、最終的に中国大陸を制覇し安定政権を築いたのは隋となります。晋滅亡からの270年の間は五胡十六国時代、南北朝時代と呼ばれ、三国志の時代並みに騒乱の時代でした。
三国志は、曹操の「魏」、劉備の「蜀」、孫権の「呉」の三国成立から滅亡までの物語。正確には後漢の滅亡からですが。
その中で、最初に「蜀」が「魏」に滅ぼされます。孔明はまったく役にたってません。
しかし、「魏」も臣下であった司馬懿が実権を握り、簒奪されて滅亡。「晋」という国が成立します。
そしてその「晋」が「呉」を滅ぼし、後漢以来の天下統一を果たすことになります。
結果的に三国統一は出来なかったのです。三国とも統一出来ずに滅亡ですから。
順番としては、
①蜀が魏に滅ぼされる
②魏が晋に取って代わられる
③呉が晋に滅ぼされる
④晋の司馬炎が統一王朝を建国
という感じになります。結局三国志の勝者は司馬一族です。
結局は、
「死せる孔明(諸葛亮)、生ける仲達(司馬懿)を走らす」
の「魏」の司馬懿が息子達とともにクーデターを起こし、「魏」の実権を握ったあと、「蜀」を
併合し、その後、司馬懿の孫である司馬炎が「晋(西晋)」を建国しました。
さらに、「晋」は「呉」を滅ぼして、中国を統一しました。
結局は、曹操、劉備や孫権の血筋の誰も中国統一を為しえなかったというのが、「つわものども
が夢の跡」ですね。
三国志では、結局誰も統一できませんでした。
魏は蜀を滅ぼしましたが、統一はなりませんでした。しかし、魏から出た司馬懿の孫である司馬炎が、
晋という国を作って、呉を滅ぼしたことでやっと統一・・・という流れです。
詳しく言うと、司馬炎は、咸熙2年(265年)に魏の元帝から禅譲されて晋の皇帝となり、そして、咸寧6年(280年)
には呉を滅ぼし、黄巾の乱以降分裂状態が続いていた中国をおよそ100年ぶりに統一した、という感じです。
結局三つともつぶれました。魏が蜀を滅ぼして、その魏は蜀を制圧したことによって功績をあげた司馬一族が皇帝の座を譲れ!と迫ってきたので魏は司馬一族に皇帝の座を譲って魏は滅ぶ。新しく生まれた司馬政権・晋が呉を滅ぼして中国統一!!!と思ったら八王の乱っていう司馬一族どうしの戦いが始まる。そこにモンゴル系、正確に言うとキョウ族とかテイ族とかそういう異民族がチャンスじゃん!って暴れ出してまたまた大混乱!!!これを五胡十六国っていいます。五胡十六国で強かった国は北魏、東晋って感じですね。
結局は呉の孫権(の子孫)が統一したという覚えがあります。
0 件のコメント:
コメントを投稿