2012年3月21日水曜日

三国志の諸葛孔明についてなんですけれど、彼って天才軍師(演義や無双のイメージ...

三国志の諸葛孔明についてなんですけれど、彼って天才軍師(演義や無双のイメージで魔法使い。)のイメージが我々の中で膨らんでいると思います。しかし、私が暇な時に本を読んでいたのですが、彼って

北伐等の戦地に行く時は必ず武装をして馬に乗っていたと書いていました。私は彼のイメージは演義や無双のイメージが付いてしまっています。馬が2頭で引いて傘が付いた馬車に乗り、戦地でも文官の(諸葛帽子をかぶり、全体的に大きなヒラヒラな着物を着て鳥の毛で作った扇子を扇いで全軍の指揮をとっていたとずっと思っていました。

実際、どんな格好で戦地に行ったのでしょうか?また、武装しているという事は何かしらの武芸が出来たのでしょうか?

回答をお願いします。







まぁ、いざ合戦ともなれば武装はしていたでしょうが…。



ところで、『芸文類従』という中国の書には、以下のようなことが書かれているといいます。



蜀軍と魏軍が渭水を挟んで対陣していた時、司馬懿は斥候を使って蜀軍の様子を探らせた。その時斥候は、諸葛亮について次のように語った。「陣中での諸葛亮は、平服を着、飾りのない輿に乗って、頭巾をかぶり毛扇を振って軍を指揮し、軍は諸葛亮の命令どおりに動いていた。」これを聞いた司馬懿は「諸葛亮は、名士というべき男だ」と感嘆したという。

(参考文献:『図解雑学 三国志』)



これを見れば、諸葛亮は敵地にあっても、合戦中でない時は武装はしていなかったことが伺えます。即ち、『三国志演義』で描写されている諸葛亮は、結構史実に近いといえるのではないでしょうか。








諸葛亮の一般的なイメージと言えば、道士服に羽扇、輿のついた車に乗り、高所から見下ろしつつ全軍の指揮を取る…といった所でしょうか。

中国中央電子台が90年代に制作したドラマでもこのような姿でしたから、何も日本だけのイメージではないと思います。



ですがこれはお察しの通り、演義での姿です。歴史的に見て道士服も羽扇も三國時代には存在しませんでした。



実際の北伐時の服装(軍装)については史料がないため何とも言えませんが、一軍の総大将として出征している以上、普通に甲冑姿だったのではないかと思われます。

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