三国志でもしイリョウの戦いに孔明が参加していたらどうなったでしょうか?
諸葛亮だったらやはり開戦を回避するようにしたのかなと思いますね。
戦いせずに外交でけりをつける
はっきり言って
ここによる問題とは、諸葛亮が参加するとか参加しないとかそんな事は関係ないしどうでもよく
三峡を戦場とし、侵攻するという蜀が圧倒的不利な状況に諸葛亮が反対する記述が見られない事
自らの対魏戦略に支障が出たため
敵となった対呉戦略に臨機応変に出来なかったためか
保身か
いずれにしても、これが諸葛亮の政治家としての評価も疑う一つの出来事であったりする
実際の戦争ってね
戦場での指揮の上手さより
その前後に勝ち負けが決まるもんなのよ
史実の諸葛亮はあくまで政治家です。
兵法は政治の一部として修めた程度であって、脚色された天才軍師の姿とは掛け離れています。
利の無い戦いですから、やはり、史実では負け、演義でも華麗な撤退戦が繰り広げられる感じでしょうか?
一応演義では、劉備の布陣に危機感を覚えた馬良がそれを諸葛亮に報告してますよね。
それに対して、もう間に合わないっぽいけど陣変えと援軍の派遣。
あと迷い込んだら出られない謎の石陣。
羅貫中先生の本気でこれですから、もう上は無いと思います。
孔明は政治の天才であって 戦争の天才ではなかったのでどうにもならなかったのでは_?
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