三国志の孔明の奥さんはどんな女性だったのでしょうか?ご存知の方いらっしゃいませんか?
黄承彦の娘
後漢末期の襄陽の名士。自ら諸葛亮のもとを訪れて娘を諸葛亮に嫁がせたという。しかし、黄承彦の娘は醜女であった為、地元の人々は「孔明の嫁選びを真似しないほうがいいぞ。承彦の醜女を押しつけられっちまうからな」を言いはやした
荊州教養人グループの有力者・黄承彦の娘です。
荊州には、龐徳公(龐統のおじさん)というカリスマ性ある有力者がいて(劉表がスカウトしようとして、断られた)、黄承彦はその友人でした。
諸葛亮が彼の娘を得たのは、こう言った荊州学閥に食い込むためであった・・・といわれています。
しかし彼女は、「真似するなかれ、孔明の嫁取りを・・・」と歌われるような、不美人であったと言われています。
何しろ、彼らの息子の諸葛センが、「私の母は決して美しい人じゃなかったが・・・」と、回想しているくらいです。
しかし、手先が器用で、工夫の人であったようです。
ある日、孔明の草櫨に友人が来訪しました。孔明は妻に「うどんをご馳走するように」命じました。
それがあんまり早く出来てきたので、驚いた孔明が妻に聞くと、黄氏は自分で発明した「自動麺打ち機」を見せた・・・というエピソード(たぶんフィクションでしょうけど)もあります。
蜀の兵力不足を、兵器の開発で補おうとしていた孔明にとって、妻の工夫は大いに参考になったでしょう。
小説「反三国志演義」では、自作の”空飛ぶ馬車”で、孔明のところに駆けつけるシーンもあります(笑)。
と言っても、この夫婦、子どもがなかなか出来ず、兄の子を養子に貰ったほどでした。
ようやく出来たのは、失敗に終わった第1次北伐の直後でした。当時双方50過ぎ、超高齢出産だったようです。
陳舜臣の「秘本三国志」では、街亭の戦いで大敗し、ショックに陥っていた孔明が、無事妻が出産したという報を聞いて、「ああ・・・そんなこともあったな・・・。すっかり忘れていた・・・」とつぶやく場面があります。
その諸葛センが、「母は、決して美しい人ではなかったが、学識豊かな才女だった・・・」と、回想しているわけです。
一説には醜女とは言われていますが、赤茶色の髪に琥珀色の肌の人物であっとも聞きます。
当時の人から見れば、珍しい人だったからかもしれませんね。
襄陽の名士黄承彦の娘です。顔があまりよろしくなかったと伝えられています。
そのため周りの人間からは「孔明の嫁取りをまねてはいけない。黄承彦の不細工娘を押しつけられるぞ」
とからかわれていたそうです。
史書にはこれぐらいが伝わっている程度です。
ここからは後付けの伝説ですが・・・
本当は不細工ではなく、見た目にとらわれない人を求めるために不細工と噂を流したとされる。
頭が良かったとも伝えられていて、『三国志演義』に出てくる諸葛亮の発明品とされる「木牛
流馬」などは彼女の発明だという伝説もあります。
つまり才色兼備の嫁を手に入れたとする伝説です。
名前も伝わっていないはずですが、京劇?などでは「黄月英」となっていて『三國無双』などでは
そのまま名前にされています。
「孫尚香」なども同じ。
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