三国志。死せる孔明、生ける仲達を走らす。
なぜ仲達は騙されたのでしょうか?
演義の解釈で説明します。
孔明も仲達も星の動きで人の生死を予測できたそうです。それで、仲達が星空を眺めていると近日中に孔明が死ぬことを知りました。そうする内に孔明が死んだという噂が広まり、斥候を出して確認すると大きな棺を担いで蜀軍は退却しはじめていました。それを知った仲達は、孔明のいない蜀など恐るるにたらんと思い全軍に追撃をしかけさせました。しかし、いざ蜀軍に追いついてみると孔明が生きており(本当は死ぬ前に孔明が造らせた孔明そっくりの木像です)、孔明の自分をおびき出す策略(このとき仲達は孔明を恐れてずっと籠城していて、戦おうとしませんでした)だと感じ、急いで全軍を退去させました。これは、孔明もまた自分の死期を星空を見て悟り、蜀軍が一兵も失うことなく退却できるように考えた策であり、仲達はまんまとはまってしまったということで、死せる孔明、生ける仲達を走らす、というように言われるようになりました。
史実と演義は違うのでどこまで本当かわかりませんが、演義ではこのように描かれています。
仲達は用心に用心して孔明と戦っていたと思います、もう蜀には人材が乏しいからいつでも倒せると踏んで逃げたと思います、慎重すぎてもまだ足りないぐらいに考えていたんじゃないでしょうか。
諸葛亮は臨終の際撤退の方法を詳しく指示しました。
そしていざ諸葛亮が亡くなると蜀軍は撤退を開始します。
司馬懿は撤退する蜀軍を見て諸葛亮が死んだことを見抜きすぐさま追撃を命じましたがそこには諸葛亮そっくりに作られた木像が立っていました。
「まだ諸葛亮は生きていたのか!?」と勘違いした司馬懿は慌てて引き返し、その間に蜀軍は無事に撤退する事ができました。
その事を知った司馬懿は「諸葛亮は天下の奇才である」と感服したそうです。
日本における武田信玄の死と同様に影武者が多く存在し孔明の死じたいを検証することは、仲達には不可能であり、魏の国内情勢も不安定で、蜀よりも先に征服しなければ、ならなかった所も多く。後の歴史家が孔明をヒーローにする格好の話題だったから。
いろいろ説はありますが、私が妥当と考えているのは、仲達が自ら広めた風評であるというものです。
もともと孔明は政治家ですので、スーパー軍師というわけではありません。
ただ第一次北伐でもある程度の成果を上げていることを考えると、良将であったことは確かなようです。
これに対し、仲達も歴戦の知将で、冷静に対処できる有能な将です。ただし自身が魏に取って代わるという野心があったので、これを魏の明帝にカモフラージュするために、わざと敵に翻弄されているかのように見せかけたのだと考えています。
仲達の孫の司馬炎はとうとう魏から簒奪して晋を建国しましたので、野心は受け継がれていったと思われます。
0 件のコメント:
コメントを投稿