三国志の時代の天才軍師、諸葛孔明は、1000年に1人の鬼才と呼ばれます。しかし、言い切れないほどすごいのは分かりますが、この現実社会でどれほどの頭のよさなのでしょうか。教えてください。
孔明が政治家として高潔であり
優れていたのは事実ですが、
三国演義の姿は明らかに
作られた、判官贔屓の姿です。
現実社会でたとえると、東大法学部
を出て官僚になるのは嫌だったので
5.6年世界を放浪し、帰国後、堀江
社長と会いイキ投合して会社をつくり
1部上場にし、堀江社長が死ぬと、
そのバカ息子の番当として会社
を切り盛りし、中国に進出させました
という所でしょうか。
現実社会でたとえれば、どんな難関大学も一発で受かり、かつ人望があり、処世術にたけ
、さらには政治の知識が池上彰並にあるでも腕っぷしは強くない人ですかね・・・
1000年に一人の鬼才なら。
1000年前の過去は春秋戦国時代末期。
1000年先の未来は南宋の末期。
中間とっても秦王朝末~隋王朝末。その辺の人たちに
語らせてみましょう。
孔明より400年前の始皇帝
「長年ニートする暇があったら、さっさと就職せいよ」
始皇帝の敵の張良
「君は私の張良だ、というとベストパートナー。君は私の孔明だ、
というと最期は負ける男という例えがあるんだが…私の立場は?」
同僚の韓信
「あまり勉強できない身分で。国士無双とまで呼ばれた俺の立場は?」
王莽
「三国時代の学校の基礎や、五行説はわしが流行らせた…のに。」
孔明より200年前の光武帝
「『金楼子』で…孔明ったら”光武帝は神の如き計略を持ち
それは天性のものである。重大な決断も参謀が光武帝の
かわりに考える必要はなく、多くの奇策も別の人間が提案したもので
はなかった。そのため、参謀が計略を出すと常に一致し、
ともに帝業を興したのである”と僕を評価してたのに、僕の立場は?」
その部下・耿弇
「韓信越えを称えられた、俺の立場は?まあ三国時代じゃ、騎馬民族戦に
無敵を誇った耿家も、曹操に子孫殺されるほど落ちぶれてるが」
同僚の・馬援
「火災を予防するものは評価されず、火災を消すため必死になる者は
賞賛される、と言うじゃないですか。南蛮を一撃で平定した私も似たような
知名度ですよ。日本じゃ」
同僚の・祭肜
「全盛期の烏桓、鮮卑、高句麗を切り従えた私なんてwikipediaにページ
すらない…」
班超
「漢、唐、元、清王朝でしか維持できなかった西域を統一した俺の立場……」
隋の楊堅
「だいたい軍師将軍が許されるのは三国までだよねー」
唐の李世民
「真の英雄には必要ない。そもそも後漢で1度、廃止されてる程度の官職だし」
回答:あまり深く考えない方がいいでしょう。
孔明は「天才軍師」のイメージで捉えられてますが、これは文学作品の影響ですね
実際には軍事はそれほど得意科目ではなかったようです
(あくまで孔明の中ではってことです。凡人から見れば、それでも大したもんですが)
正史「三国志」の撰者の陳寿も、「臨機応変の軍事作戦は決して得意じゃなかったんだろう」と言ってます
では何が凄いか、、、、、、、、、、、、、
これはもう「内政手腕」の一言に尽きます
これについては文句なし
中国史上、蕭何と双璧を為すでしょう
あれだけ頻繁に無理のある軍事作戦を展開しておいて、蜀の国力を疲弊させるどころかむしろ向上させ、民衆の恨みを買わずにむしろ後世まで尊崇される、、、、、
化け物みたいな行政手腕ですね
三国時代は人材が極度に不足していた時代。
現在でなくても他の時代なら多くの人材に埋もれて目立たなかったと思います。
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