2012年3月13日火曜日

三国志演義の

三国志演義の

諸葛亮と王朗の舌戦のやりとりの内容はどういうものだったのでしょうか?教えて下さい。演義では王朗が舌戦に敗れて悶死します。どうしても気になります。







これ↓、ですね。

三国志演技、第93章です。



王朗は漢より天の徳が去り、徳がある曹操が天下を治めるのは自然の成り行きであることを説きます。



対して孔明。

孔明は車上でからからと笑った。

「漢朝の大元老たる貴様(王朗)のことゆえ、さぞや名論が聞かれると思っておったに、かかる愚にもつかぬ事を言おうとは、いやはや呆れて物も言えぬ。それがしに一言申したきことあるゆえ、おのおの耳を澄ましてお聞きあれ。むかし……

貴様のような佞臣は、片隅にひっこんで私腹を肥やすことを考えておるがほどほど、陣頭に出てみだりに天数を口にするなどおこがましいことだ。白髪頭の下郎。白髯の国賊。今日にもあの世にいって、漢の二十四帝に会わせる顔もあるまい。老賊、さがりおろう。いざ勝負してくれん」

王朗これを聞き、胸ふさがって、ひと声おめくなり、馬からころげ落ちて死んだ。



こちらは現代風にかかれたものです。



王「孔明先生がなぜ無用の戦を起こされたのか不思議千万にござる。」



孔「無用とはもっての外、詔を奉じ賊を討つまでのこと。」



王「賊とは聞き捨てならん。元来、天には天の摂理がある。天子の位は固定したものではない。資格あるものが天子となって何が悪い。漢の朝廷は、桓帝、霊帝の時代、黄巾の乱で乱れ、さらには董卓の乱、袁術の天子僭称、呂布の暴虐などで人民の苦しみは筆舌に尽くしがたいほどであった。これを曹操殿が平定された。曹操殿は非道を行わず、天がお命じになるまま政権を打ち立てられた。我々は天意をかしこみおぬしらを正しにきたのである。



孔「しからば申し上げる。お説のとおり、漢朝は桓帝、霊帝の時代、衰えを見せた。宦官どもも災いを醸した。その上、黄巾、董卓の暴虐な働きで人民は虫けらも同然であった。犬、猫、虎、豚のような連中が官を猟り、朝廷の重臣となった。これらを貴方は正視されたか?

私はあなたがどのようなことをなさっていたかよく存じ上げている。あなたはそういう天下の情勢を正視されていなかった。辺鄙な湖のほとりに住み、役人となり、銭勘定ばかりしていた。それが阿諛追従を重ね、世渡り上手なことにいまや軍師様である。本来は銭勘定が最も適していらっしゃる。そのほうが実にお似合いである。早々にのにようにされるのが身のためというもの。

そのようなものに反し、我々には漢の血筋を引かれる君主をいただき、漢の賊を討伐に参ったものである。下がれ下郎。」

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