三国志の諸葛孔明もやっぱり孫子を呼んで実戦に使っていたんですか?
「泣いて馬謖を斬る」は正に孫子の影響だと思います。
でも諸葛亮は学問として用兵は知っていても、実戦としては素人そのものであり、尚且つ国力の差からとる策は結局消極策ばかりとなり、結果勝機をことごとく逃す事となりました。
優秀な武将がもっといれば、少しは結果が変わったかもしれない。
国力の差があるから結局勝てはしなかっただろうが。
諸葛孔明は、書物を読んでも一言一句そらんじる事はなく、その概要を把握し自家薬籠中にしました。
当時の出版事情から、孔明が孫子を読んだかどうか分かりませんが、孫子に影響を受けた書物に目を通したはずです。
当然、その内容に影響を受けたと思われます。
ただ孔明は「孫子の兵法曰く....」という事はなかったと思います。
残念ながら呼べなかったでしょうが、
天才軍師でしょう。
彼ぐらいの器の人物が日本にもいたのかなぁ?
その時代日本は・・・
土器・・・・・・・
残念ながら呼べないでしょうね~
諸葛孔明が他より多くの情報をもち,それを操作する能力が天才的に秀でていたことは確かだと思います。
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