三国志に出てくる登場人物で、諸葛 亮(孔明)の言葉を受けて主に外交や、交渉といった役割をした人物はいますか?
孔明の部下以外でも構いません。三国志で、軍師の意見や命令を受けて、外交や交渉、相談、輪をまとめたり、複数の人間をまとめたりなどを主にしていた(しかも有名とか、なかなか有能だったとか)っていう人物が居たか、またそれがなんという名前だったのか知りたいです。
自分が魅力的だなぁって思うタイプなので、出来ればその人物の話を中心に自分も三国志に注目をして本や映画などを見れるようになりたいです。(本当に説明下手でスミマセン!/深謝)
三国志に詳しい方、私の説明でもなんとなく言いたい事を理解して回答くださる方、どうかお願いします。
できたらその人物の名前と、いつ頃に何処で活躍した(登場してた)人物かとかも教えてくださると嬉しいです。
諸葛亮のもとで外交で脚光を浴びた人物といえば鄧芝でしょう。
鄧芝、字は伯苗。巴西太守龐義のもとにいたが、劉備が蜀入りした後は劉備に仕え、広漢太守や尚書職を歴任しました。劉備が亡くなった後、諸葛亮が呉への使者を出そうとして見出され、夷陵の戦いでひびが入っていた呉との関係を見事修復し、さらに、その物怖じしない言動で孫権をも感服させ、「和合二国、唯有鄧芝」(呉と蜀の同盟を成立できるのは鄧芝しかいない)とまで言わせたと言われています。特に孫権が、魏を討ち倒した後は呉と蜀で天下を分け合おうと言った所、鄧芝が「天無二日、土無二主」と言った場面はかなり有名です。
さらに、鄧芝は外交だけでなく軍事面でも活躍していました。諸葛亮の第一次北伐では中監軍となり趙雲とともに軍を率いていたが、北伐が失敗し多くの軍に損害を受けたなか、鄧芝らの軍だけはほぼ無傷でした。その後は揚武将軍、前軍師、前将軍、益州刺史などを歴任し、蜀漢延熙六年(西暦243年)には車騎将軍に任命されました。
該当人物を活躍頃と三国志作品に登場しそうな場面と共に紹介します(曹操の部下です)。
趙儼チョウゲン(西暦171~245年、字は伯然)
曹操が張繍に手痛い敗北を喫した197年、趙儼は曹操に仕官します。
袁紹との対決迫る頃、于禁・樂進・張遼は隣接地に駐屯、彼等は各々自己主張し協調性を欠く状態でした。趙儼は三軍の参軍(相談役)と成り、諭して親睦させました。
趙儼に将軍達を抑える能力が有ると知った曹操は、208年の荊州遠征時、于禁・張遼・張コウ(合+オオザト偏)・朱靈・李典等含む七軍を趙儼に統轄させました。
その後211年、馬超・韓遂軍に勝利した後、曹操は趙儼を関中護軍に任じ、現陝西省の諸軍全部を趙儼の監督下に置きました。
魏を代表する武将達、張遼・張コウ・于禁・朱靈・李典等を統率した趙儼、交渉相談事を処理する能力が有ってこそ彼等を統率出来たと言えます。官渡の戦い前や荊州遠征時、彼等を統率した人物が居たと考え三国志作品を見ると面白いかもです。
曹仁が守る樊城を關羽が囲んだ際、趙儼は徐晃と共に駆け付け、矢文を射込んで曹仁等を励ましました。關羽敗退後、追撃狙う曹仁を趙儼は制止します。この場面は、確り趙儼が登場すると思います。
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