三国志で、孔明があと10年生きていたら
蜀はどうなったと思いますか?
魏に滅ぼされないで済んだのでしょうか?
それとも、劉禅が皇帝である限りはダメだったのでしょうか?
まぁ、連弩あったからな・・・。どちらにしろ、滅びる運命でしょう・・・。
劉禅は論外。勧告してきたら一発でOK出しやがって・・・。五虎将軍と孔明生きてたらな・・・。
ある将軍が、仲達を追いかけてたが、途中で見失った。そこには2つの道がある。正しければ仲達を捕えられる。
一方には仲達の帽子が落ちている。将軍はとっさにそっちへ行った。 仲達はもう一つの道へ逃げて行っていた。
その時、孔明はこう嘆いていた。「五虎将軍だったら、どっちの道へ行っていただろう。この将軍は自分の利益のためだけに、こっちへ来た。五虎将軍が懐かしい・・・。」こんな感じです。
良い将軍がもう一人もいなかったみたいですね。姜維がいたけど、孔明がいなければ何にも活躍なし。勝った戦もあったけど、孔明が伝授した連弩のおかげ。
もうちょっと、みんなが長生きすれば・・・。
あと、「泣いて馬謖を斬る」ということわざ(?)がありますね。その負け戦の時点で、孔明は蜀が滅びるのを予測していたみたいです。
長文失礼しました。
蜀の滅亡が少し延びるだけ
人材も人口も領土も圧倒的に魏に負けているのでどちらにしろ滅びます
純粋になにも変わらないと思います。
運よく仲達を討ち取ることができれば寿命は延びたかもしれませんが、国力・人材の厚みが違いすぎるので、いずれはじり貧になったはずです。これは正史でも演義でも同様だと思います。
一点可能性があるとすれば、魏内部に謀反の芽をばらまいて分裂させることですが、これはゲームの中限定の話で、実際に孔明が謀略得意というわけでもありません。
演義準拠であれば孔明はとんでもない軍略の持ち主ですが、正史であれば、政治家としてはSクラスでも戦略家としてはよくてもBでしょう。前漢の三傑の役割を一人に求めるなんて無茶ですよ。関張亡き後は暴れ役のタマも不足しているなど条件も悪化してますし。
10年程度では何も変わらなかったでしょう。
ただ、その10年で孔明が後進の指導・育成(特に政治面)に成功し、彼に匹敵するセンスを持つ若い政治家を生み出せたなら、後の歴史に多少の変化があったかもしれません。
蜀滅亡の大要因として、「軍人としては有能だが政治能力のない姜維が実権を握り、国力が傾くほどの北伐を繰り返した」というのがあると僕は思っていますので、政治面で姜維の手綱を握って、北伐の規模を国力に致命傷を与えない程度に抑えることが出来る人物がいたなら、蜀の命運は多少長引いたと考えます。魏の打倒、というところまでは難しいとは思いますが。
魏に滅ぼされないで済んだかもしれないけど
晋には滅ぼされたでしょう
孔明が生きていようがいまいが大勢に影響はありません。
そもそももともと「国力」が違いすぎます。
三国鼎立時点で魏と蜀の国力は5対1程度。
貧富の差というのは、余力がある方がそれを拡大再生産に投じますので、経済力が時代とともに開きます。
むしろ孔明の無理な外征で早く滅亡していた可能性すらあります。
劉禅が馬鹿なせいで蜀が滅亡したわけでは有りません。
演義の描かれ方は所詮お芝居です。
・・・まあ質問者さまの意見に逆らう回答はBAになることはないでしょうね。
両陣営の国力から考えて滅ぼされることはほぼ確定であると思います。
蜀は深刻な人材不足だけではなく、人口も不足していましたし、その結果兵士の数もおおくありません。
人口は魏が約四百四十万、蜀が約九十五万だったと思います。(流民は抜きで)
そしてその約1割が兵士だと考えられます。
領土も魏は10州以上あるのに対し、蜀は益州だけ。
また、魏は民屯(たしか労役、徴兵免除だったと思う)や軍屯などで兵糧の確保にも力を入れていたのに対し、蜀は一部で軍屯を行っていたものの、兵糧不足で撤退することも。
さらに、蜀は劉備との間の血縁や地縁がなかったため、組織が脆いのに対し、魏や呉は血縁、地縁が多くいるので組織はもろくない(後継者争いは起きるけど…)
などなど、蜀は不利です。
結局呉と結んで対抗するしかないんだけどそれがうまくいったとしてもまだ人口、兵士数において魏の方が上で、魏は二正面作戦をとれる。
魏が同盟に対して妨害工作をしてくるでしょうからそれもうまくいくとは限らないと思います。
孔明が生きていたところで変わらないでしょう。
滅亡が遅くなることはあるかもしれませんが。
孔明一人では無理です。せめて、戦略家の法正・軍事の馬超・外交の馬良が同じくらい長生きして協力してくれたら状況は変わったと思います。彼らが生きていれば涼州から西域の一部は蜀の版図に入ってたでしょう。そうすればシルクロードの利権は蜀に転がり込みます。西域の物産は中原では高値で取引されるものがたくさんあります。(大宛の馬、葡萄製品等。)特に西域と雲南は玉石の大産地です。それで魏や呉から生糸を大量に買い付けて蜀錦を生産し、蜀錦や生糸をシルクロードの交易ルートで輸出して外貨を稼ぎます。商人は儲かるためなら魏・呉・蜀も関係ありません。またこのルートを通して諸外国からの援軍や物資も期待できます。また、玉を貨幣代わりに使って経済戦争を仕掛けるのも可能です。この為に孔明の第一次北伐は天水方面に出兵したのではないかと思います。この交易ルートを取ることは長安攻略よりもはるかに重要であるからこそ魏延の長安奇襲作戦を却下したのだと推測します。劉禅がダメでもこの4人が健在であったならば、あるいは蜀の反攻も夢ではなかったと私は信じています。
さぁ
覆水盆に帰らずですよね。
考えたところでどうにもなりません。
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