三国志の蜀漢で孔明没後の有力な武将はどんな人いますか?
ギエンとキョウイ以外の武官に限る。
「王平」
諸葛亮の死後、鎮北大将軍、漢中太守までになった人物。
「夏侯覇」
車騎将軍までなった人物。
「張翼」
諸葛亮の死後、姜維のもとで夏侯覇とともにその副将を務め、征西大将軍、左車騎将軍、広漢太守を歴任した人物。
「馬忠」
武官職では鎮南大将軍、文官職では平尚書事までになった、蜀南部の統治に尽力した文武両道の能吏でした。
「張嶷」
馬忠の副将として功績を残しており、姜維の北伐に従軍し先鋒を務めた将です。
今思いつくのはこれくらいですかね。
自分は馬岱だと思います。(馬超の従兄弟)
理由は、魏延が反乱といっていいかはわからないですが、騒動を起こすと諸葛亮が予知し、馬岱に魏延止める様に死ぬ前に頼んでいたので、
それなら馬岱が有力な武将なのかなと思います。
張嶷に関しては確か自軍の倍以上の被害を魏側に与えた上で
当時勇将として知られていた徐質自身も打ち取っていたから
局地的な観点から言えば敗北とは言えないんじゃないかな。
後期に名を残す数少ない勇将の一人ですよ、張嶷は。
【王平】…活躍に関しては説明不要だが、そもそも張魯討伐に伴い魏に帰順した後、蜀に転じた経緯に謎が残る。【カク弋】…カク峻の子、異民族討伐で昇進し雲南一帯の統括を務める。蜀滅亡の際に喪に服してから帰順したことを司馬昭に評価され、その後も同地域を統括する。【夏侯覇】…夏侯淵の次男。曹爽一派が一掃された後、親戚の夏侯玄が中央に召し出された(後に殺害)ため危害が及ぶのを恐れて出奔。蜀ではそれなりのポストについたが、活躍はほとんど記されていない。【諸葛瞻】…孔明47歳の時の子、七光りとはいえ父親と同じ軍師将軍まで昇進。蜀滅亡時に長兄とともに戦死。【宗預】…蜀滅亡まで約50年仕えた宿将だが、コツコツ昇進したためか知名度はかなり低い。年下には位が高かろうが一切遠慮がなかった。【張嶷】…正に実直の武将。孔明没後も20年以上活躍し足が不自由となっても戦い続けたが、最期は魏将徐質に敗れ戦死。【張翼】…高祖父や曾祖父の名は知られているが、祖父と父の名が伝わっていない不思議な家系。姜維とは軍事をめぐり衝突もあったが姜維は結局いつも同行させている、その縁は鍾會反乱の際ともに戦死するまで続く。【馬忠】…呉の馬忠とは別人。南征に従軍、張翼に替わり討伐し一度は破綻した支配を再び復活させる。【馬岱】…魏延を斬った馬超の従弟、評価は出来るが肝心の最期が分からない。【傅僉】…父と同じく果敢に戦い戦死、後に司馬炎が評価している。【羅憲】…はじめは文官だったが黄皓に同調しなかったため左遷、その後武将として戦い続けた。蜀滅亡時はカク弋と同様に喪に服してから帰順、その後は魏将として呉の侵攻を防ぐなど功績をあげた。三国統一時には蜀の人材を司馬炎に推薦。【廖化】…滅亡まで40年以上蜀に仕えた宿将、姜維には批判的。
劉禅 劉玄 有力かな?
関策と馬岱ですね。後は関策の妻の鮑三女ですね。
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