孔明はなぜ劉備についたんでしょう?中国統一=天下泰平につながるなら、むしろ曹操を補佐したほうがよかったかも。彼も三国志に描かれてるほど悪い奴じゃなかったでしょうし。
孔明はあの時点でまだ誰につくか決めかねていたんですよ。
有能と見られる人物は確かに居るものの、みな一長一短。
その仕官先候補に劉備もいたようですが、あまりにも現状に力が無く、孔明としても決定するにはあまりにも……という状況でした。
曹操は有能ではあっても評判が悪く、徳の低い人物だったので、孔明も仕官先としては“候補”とすることはできても、決定することはできない、といった程度の相手でした。
曹操が天下を統一しても国は乱れる、と思っていた節もあります。
結局、あの時点では誰にも使える気は無かったみたいですが、三顧の礼にほだされ、仕える気になったようです。
……曹操が先に同じ事をしたら、歴史は変わったかもしれませんね。
その通り、「三国志演義」は劉備の観点から描かれているので曹操は敵役だが、実際は智謀も胆力も義理にも篤い立派な武将だったらしい。
諸葛孔明(諸葛亮)は誰にも臣従する気はなく、田舎でのんびりしていたが、彼の能力を見込んだ劉備が訪ねて行っては断られ、を3回くり返した所で、孔明は一国の将がわざわざ田舎のわが家を3度も訪ねて礼を尽くされた。この上はどうして断られようか、といって臣従した。これが「三顧の礼。」
三願の礼に代表される、劉備の人柄でしょう。。。。。。。。。
三顧の礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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