三国志の劉禅について。
よく劉禅は暗愚といわれますが孔明としては劉禅くらいの方がよかったのではないでしょうか?
劉禅が孔明に対して行ったこと言えば北伐の帰還命令くらいですよね?
でもこれは何も劉禅が悪かったわけではないと思います。
逆に周りがしっかりしてないから劉禅は騙されたのだと思います。
まぁ孔明の死のあとの劉禅は明らかに暗愚ですが孔明が生きてた頃の劉禅は孔明からしてみれば扱いやすかったのではないでしょうか?
もし朝廷に優秀な人材がいれば君主が何もしないため政治はスムーズになりますよね?
劉禅は志がないにせよ孔明から見れば劉邦などに例えられる「よく部下の意見を聞く」タイプの君主の究極形だと思います。
なので孔明が生きてた頃の劉禅は劉禅が暗愚だったというより朝廷に優秀な政治家がいなかったという方が適切なのではないでしょうか?
○劉備が没した時、劉禅はわずか17歳。父の遺言で諸葛亮、李厳らが補佐することになりました。家臣の補佐がなければ国政を運営することはできないと言いたいところですが、後世15歳未満で親政を始めた皇帝もいましたから、乱世、自分がしっかりしなければイカン、という使命感があり、諸葛亮の助言の下、漢をリードしていこう!という気概があってもいいかな?と思います。私が思うに劉禅は基本素直だが、自分から率先して何かをしよう!というタイプの君主ではないですね。賢臣の補佐があれば、無難に国を保つことが出来たのは、40年という統治年数が物語っています。
○何も劉禅が悪かったわけではない、逆に周りがしっかりしていないから劉禅は騙された、については疑問です。大人なんですから、しっかりしていないといけないんじゃないですか?劉邦は単なる「よく部下の意見を聞く」タイプではありません。意見を聞いた後、どんなことがあったか?漢王朝延命のための粛清です。劉邦は自分で危険な臭いをかぎ分け、決断できるだけの人物です。劉禅は「人の意見を聞く」までは劉邦と似ていると言ってもいいでしょうけど、自分で率先して何かができるタイプではなかったのでしょうか?
○だからと言って劉禅を貶めるわけではありません。皇帝がそれほどな人物でなくとも国が保てた例はいくらでもありますから、質問者さんのおっしゃる通り、暗愚ではないと思います。いたって普通な人だったとのでしょう。生まれた時代が悪かった人物の典型ではないでしょうか。亡国の皇帝になったために、暗君のレッテルをはられてしまったのえすね。
僕も途中までは、全く同感です。ただ、最後の五行は逆でした。
そうですね、劉禅は劉備と違って具体的にこうしたいという目的がなかったですし。逆に賢すぎると司馬懿みたいになりますし。劉禅はわりとまともな君主であって周りが有能すぎただけだと思います。
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