孔明ってすごい人だったのですか?
意外とたいしたことなかったりして・・・・
小説の『三国志演義』での孔明は、地理に精通し、人心を読み、千里を見通せる上に風や天候などを味方につける事ができる超人に描かれています。
しかし、正史である陳寿の『三国志』ではというと、少々事情が違います。赤壁の戦いのくだりでは孔明は登場しません。蜀建国後の北伐についても「連年軍勢を動かしながら成功しなかったのは、臨機応変の戦術が不得意だったからではないか」と書いています。天才軍師・諸葛孔明は虚構だったのですね。
しかし、その内政能力に関しては「国家のために働いた者には、仇であっても恩賞を与えた。法を犯す者は、身内でも罰した。罪に服して反省する者は重罪でも釈放したが、言い逃れようとする者は微罪でも処罰した。善行はどんなに小さくとも必ず賞したし、悪はどんなに小さくとも必ず罰した。かくして国民は皆、彼を敬愛した。厳しい刑罰にもかかわらず、誰も彼を恨まなかったのは公平無私だったからだ。まことに政治の何たるかを知っていた大政治家であり、管仲(かんちゅう)、蕭何(しょうか)に匹敵する。」と高評価が与えられています。
さらにその人格、政治姿勢に関しては「蜀の丞相(首相)であった孔明も、その生活ぶりはいたって質素だった。(中略)孔明の死後遺産を調べたら、彼の言葉どおり、財産らしきものはなかった」という記述があります。
孔明は天才軍師ではなく、清廉潔白で有能な政治家だったのですね。
バーロー!めちゃスゴいよマジで!…演義はね。
はっきりいって、作戦立案や前線指揮、知略担当者としては2流ですね。 本人も劉把(字を忘れた)という人物を評価した際に、自分は彼に劣ると評してますので。
ただし、三国演義の諸葛亮と比べれば、数段立派な人物ですよ。普段は天下一の知恵者面しておきながら、肝心な時には敵に先手を取られまくるは、言う事聞かない部下を敵もろとも焼き殺そうとして、雨が降って失敗するは(天文に通じてるんじゃないんかい!?)、あげくにその失敗を部下に押し付けて責任逃れするはと、ろくな奴じゃなかったですから。
それに比べれば、史実の諸葛亮は、もともと、後方の責任者、言わば、留守番役として劉備に招かれたのが、主君亡き後に最高責任者になってしまい、真面目過ぎるもんだから不得意な軍事部門まで背負ってしまい、最終的には過労死してしまった気の毒な人物です。
私としては、史実の諸葛亮は十分に尊敬出来る人だと思います。
諸葛亮孔明は、時代にあった政策を行い、公正な政治を行った。
どのように小さい善でも賞せざるはなく、どのように小さい悪でも罰せざるはなかった。
多くの事柄に精通し、建前と事実が一致するか調べ、嘘偽りは歯牙にもかけなかった。
みな諸葛亮を畏れつつも愛した。賞罰は明らかで公平であった。その政治の才能は管仲・蕭何に匹敵する。
毎年のように軍隊を動かしたのに(魏への北伐が)あまり成功しなかったのは、応変の将略(臨機応変な軍略)が得意ではなかったからだろうか。
諸葛亮は軍隊の統治には優れていたが、奇策はそれほど得意でなく、敵のほうが兵数が多かったので、魏に対する北伐は成功しなかった。
古来より兵を出して奇計を使わず危険を冒さず成功した者などいない。
諸葛孔明の用兵は奇計を使えなかった所に欠点がある。
孔明に功を挙げられないのは、そもそも予想がつくことであり、仲達を必要とすることもない。
諸葛亮は発明家でもあり、諸葛亮に関係した物として、晋時代に普及した筒袖鎧・連発式の弩を工夫した元戎(『魏氏春秋』によれば、この弩は十本の矢を同時に発射することができた)・一説には一輪車の起源とされる木牛・一説に四輪車と言われる流馬・駐留時栽培させた諸葛菜(蕪)・織物の技術を南蛮民に伝えた諸葛錦・字を知らない民の教育に使用した紙芝居・諸葛亮が考案したおもちゃ孔明鎖・現在雲南地方に諸葛亮発明の物として孔明灯なるものなどがあるとされる]。
なお「饅頭」という食品は、諸葛亮が南蛮征伐の際、人頭を祀るという風習の代りに、人頭の代替食品として、小麦の練り物の内部に肉団子を包み込み、人頭に見立てて考え出したものであるという話があるが、これは宋代の類書『事物紀原』に「小説に曰く」と前置きして引かれている話である。
饅頭を発明しただけでも、すごい人だったのかもしれませんね。
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