三国志で孔明が死んでから各国の殿様方がバカになりましたよね?
蜀→劉禅…もともとバカか?
魏→曹叡…私利私欲走りすぎ
呉→孫浩?→こいつもバカ
バカばっかですね~
三国志では姜いが最後の英雄ですか?
三国の皇帝が、先代に較べて能力的に落ちるのは仰るとおりだと思います。
質問者さんが仰るように、諸葛亮の死後、かれらが馬鹿になったとは思いませんが、
彼らの評価という点では、
諸葛亮の死というより、その存在が微妙に影響を与えている気はします。
蜀の劉禅は、たしかに諸葛亮存命中は、
諸葛亮が決して得意ではない「武」も、一流と評価される「治」も、
おんぶに抱っこだったわけですが、
これは、劉禅が戦場に出たこともなく、甘やかされて温室栽培で育ったため、
若いころからの英才教育が成される前に、皇帝の地位に就いたからです。
幼いころから、父親の愛情が足りなかったのか、
度々戦火の中へ捨てられ、母親は戦場で無残に亡くなり、
義理の母親(孫夫人)には拉致されそうになり、悲惨な幼少期を過ごしました。
(趙雲に2度も助けられたことになりますね。)
思うに、彼が皇帝に就いてからナンダカンダ言いながら、
約40年間蜀を長らせられることができたのは、
劉禅に自然に備わった危機管理能力によるものともいえるのではないでしょうか。
それが慢心を生み、
姜維の無理な北伐を容認し、宦官黄皓の専横を許してしまったのでしょうから、
蜀を滅ぼした元凶は、劉禅であることには変わりありませんが・・。
良い評価は望むべくもありませんが、
無能ではなく極めて凡庸な皇帝といえるのではないでしょうか。
魏側の事情もあったでしょうが、
諸葛亮が陣没後さらに25年、よく蜀が持ったものだ、と思わざるをえません。
魏の曹叡は、偉大な祖父曹操と、これまた平均以上の評価を得る父親曹丕の、
影に怯え、プレッシャーに耐えることができなかったのではないでしょうか。
また、司馬一族による3代に渡る、
壮大な魏王朝乗っ取り計画の犠牲になった感があります。
魏以前の古代中国の王朝や、それ以後の王朝を見ても、
3代(2代といってもいい)続けて秀抜な皇帝が出た例は皆無に等しく、
漢の武帝のような中興の祖が出ないうちに、
王朝の衰退を招いたのは曹叡だけではありません。
あえていえば、諸葛亮VS司馬懿 の5回に及ぶ、
小競り合い(魏から見れば)が終わるまでは、
司馬懿 という狐がいなかったため、
「鬼のいぬまのなんとか」だったでしょうが、
小競り合いが終われば司馬懿の傀儡だというのは誰の目にも明らかで、
その後、5年で亡くなるのも地味な印象しか残りません。
軍事には見るべきものがあったようですが、
背後に司馬懿の匂いを感じられますし、
政治の面では、仰るように善行を見つけられませんが、
これは2代、3代目の皇帝にはよく見られることかと思います。
呉の孫権は、可哀相な人生だったと思います。
父親と兄が相次いで悲劇的な最後をとげ、心構えのできぬまま皇帝に祭り上げられ、
曹操や劉備など、自分の父親世代(20歳以上年上)の人物と、
戦い続けなければなりませんでした。
ライバル2人が相次いで亡くなり、危険視していた諸葛亮もいなくなった、
そこまでは神経も張っていたでしょうし、父親、兄世代の優秀な臣下に支えられながら、
豪族の集まりである呉をなんとかまとめる事が出来ていました。
その緊張感が最後まで続くわけはなく、晩節は老害といっていい失政と、
醜い家督争いに明け暮れました。
それでも、23年間治世を取り続け、
呉を永続させたことは渋々ながら評価してもいいかと思います。
しかしその後、2代(孫亮)は孫権の長期政権のあおりで幼帝、
3代(孫休)は孫亮暗殺の噂がつきまとい、惰弱で政治への関心が薄いと、
ある程度呉が平穏だったこともあるのでしょうか「平和ボケ」の症状を示し、
4代孫皓が暴君であったため滅亡を迎えます。
最後に、三国志の末期を飾る武将としては、姜維の名前を挙げますが、
彼の無理な北伐が蜀の国力を疲弊したのは事実でしょうし、
尊敬する諸葛亮の影を追い続け、自分の背丈以上の武勲を欲した行動は、
賞賛に値するとは言いがたく、元々人材不足の蜀において武を担ったために、
必要以上にスポットライトが当たっているのだと思います。
少なくとも三国演義でいえば・・。
魏でいうと、羊祜は、軍事、政治の面でも一流で、敵国呉でも尊敬されたといいます。
呉でいうと、陸遜の息子である「陸抗」の武勇は、姜維に匹敵します。
2人とも、演義での記載も少なく地味な印象ではありますが、
姜維以上の評価を挙げるべき人物かと思います。
三国志に関する知識が多くないために魏と呉の皇帝の事をそんなに知らないため否定できませんが劉禅は馬鹿では無いと思っています劉禅の評価に周りが良ければ良い皇帝であり周りが悪ければ悪い皇帝だったという評価を聞いています蜀を魏が攻めた時すぐに降伏したのは戦争で民を苦しませないため魏で宴会の時にここは楽しいから蜀は惜しく無いと言ったのも魏や司馬師などに
反乱の疑惑を持たせないためという説もあるそうですよ
あと三国志で最後の英雄は姜いが最後の英雄ではないでしょう最後の英雄は自分的には陸抗を推薦します元々強大だった魏がさらに蜀を滅ぼし国力を増加させても陸抗が死ぬまで魏を簒奪した晋は呉を滅ぼせませんでしたいわば陸抗が呉の最後の大黒柱だったようですから陸抗を自分は推薦します
高貴郷公などが馬鹿でしょうか?学問に優れ、司馬氏の専制を倒そうとして自ら剣をふるって出陣し、若くして非業に倒れた君主です。
孫皓をバカというのは簡単ですが、父も、父の兄弟たちも大多数は非業に死んだのを見て育ち、皇帝の座についたものの常に死の恐怖にさいなまされる、それが影響を及ぼしていないでしょうか。
皇帝個人の賢愚が生きるのは乱世の創業者かゲームの能力値くらいのものです。
人は皆歴史的立場を背負って生きています。
もし、三国後期以降の皇帝たちがバカに見えるのであれば、それは彼らの問題でなく、国家システムの問題です。
早い話があなたが十代でお父さんのあとを譲られて一国を統治する皇帝になって、情報も遮断され陰謀が渦巻く宮中で家臣たちを上手にまとめながら英雄になることができますか?
英雄??
う~~ん。
まず姜維は知名度・安心・周りの印象が皆無で、いわば孔明だけのお気に入り。
しかも内政を担当していた蒋エン-トウ允-費イがバタバタ逝っちゃって後方支援もないまま、孔明も成し得なかった北伐を国是とはいえ半ば意固地に行う、軍事オンリーマンの姜維を英雄といえるのかなぁ??
むしろ武人は少なくなった分、賢人が多くなった気が僕はするけどね。
あっさり統一したし。
曹叡は父親の影におびえたり、司馬一族乗っ取りの原因となるような
人物ではありません。
そんな人物であればそもそも明帝などと呼ばれることもなかったでしょう。
彼の功績を全て司馬イが裏で操っていたなんていうのはお門違いもいい
とこですね。
彼は見事な判断力と決断力、実行力を備えた名君です。対呉方面の
見事な防衛戦(司馬イは全く関係していない)などを見てもそんな風説
が出鱈目であることが分かります。
宮殿造営などが私利私欲と言うのも違っていまして、諸葛亮の死により
蜀の北伐が一旦やんだことから戦費を民間にある程度還元する目的で
ああいった事業を行なった、と言う説もあるぐらいです。
確かに戦争自体は国への負担にしかなりませんから、それが民間に還元
されるのであれば、民衆にとっても喜ばしいことです。今の政治家達よりも、
よほど民衆のことを考えてくれていますよ。
好きな呉をフォローすれば
孫権→二宮の変でもうぐちゃぐちゃ。だけど当時で70歳。隠居もないのでしかたない。
孫亮→後年パパがやらかした+若すぎ
孫休→そこそこまともだが上記までのごたごた処理に終われる
孫皓→初めはがんばったんだよ。でもしかたないじゃん。もう頼みの蜀も潰され、民は豊かな北に帰り始め
あとはいつ晋が襲来するかしかないんだから。
英雄といえば陸抗。二宮の変以後ボロボロになった政権の威信、もう何年もいくさしてない兵を率いて
蜀もおちて後顧の憂いもない、あとは大兵力をもって嬲り殺すだけの晋からよく呉を守った。
まあ、バカになったというより、諸葛亮孔明という強大な敵が倒れたことにより
一気に気がゆるんだということが原因かもしれないですねぇ。
曹叡や孫権は孔明の没する234年までは名君でしたから。劉禅は…ノーコメント(汗)
ちなみに、呉の場合孔明が没したときの皇帝は孫権で、その後孫亮・孫休を挟んで
孫晧(白+告)になります。老いと佞臣に弄ばれた3人をバカというのは可哀想ですよ。
そもそも、結果的に見れば姜維こそ馬謖と並んで蜀随一の大馬鹿者、などと
言っている方もいらっしゃるわけですし。
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